社会変革のためのプロジェクト
- 2024/11/20
「最期の日まで、出勤してくださって構わないです」。まだ働きたいと願うがん患者の雇用を社会に広げる異色の社会保険労務士の本業
※本記事は書籍『伝えたい、未来を創る会社―社会を変え、人を幸せにする会社 未来創造企業』(2023)から再編集しました。
●創業:2017年
●業種:メンタルヘルスを通した職場づくり、制度づくり、人材育成
●第2期未来創造企業認定
●未来創造企業としての取り組み:新たな挑戦が可能な職場環境の提供、千代田区を「まるごと職業体験の場」にした人材育成の取り組み、社会をよりよくする「未来創造費」の発案
がんの宣告を受け、心身共に大きな負荷を抱えて生きる人がいる。
その患者本人を社員として採用するまでに時間はかからなかった。
脊尾氏が迷わず行動に移せた理由。
それは根底に「世のため、人のためになることをする」という信念があるからだ。
目の前の一人と真剣に向き合うことで、
その人の人生を、そしてその先の世の中を変えることができる。
脊尾氏は強く信じている。
一人に対して真剣に向き合う姿勢は、社会に対しても同様だ。
地元・千代田区を「まるごと職業体験の場」にする取り組みをはじめ
次世代を担う若手人材の育成に貢献している。
「未来創造費」というユニークな取り組みもはじめた。
自社だけではできないことを、未来創造企業等と連携して行う事業であり、
得た利益を共に社会のために再分配する仕組みだ。
社会保険労務士の枠を次々に、軽々と超え、
新たな社会の常識をつくりだしていく。
【目次】
●「世のため、人のためになることをする」メンタルヘルスの観点から起業と社会をサポート
●「最期の日まで、出勤してくださって構わないです」 「まだ働きたい」と願う、がん患者の雇用
●挑戦できる環境で新たな世界を切り開く ブログが注目を集め、書籍に
●千代田区を「まるごと職業体験の場」へ 地域の学生の雇用と地域活動の展開
●良い会社の基準を目に見える形にする「未来創造費」が広げる活動の輪
<有識者の視点>
SSC評議審査員 天明 茂
専門領域を生かして、人に係る社会課題を解決する
「世のため、人のためになることをする」
メンタルヘルスの観点から起業と社会をサポート
秋葉原社会保険労務士法人は、精神科や企業のメンタルヘルス対策の考え方を基盤に発足した法人です。「世のため、人のためになることをする」という理念のもと、「共生共働の社会の創造」を目指しています。代表の脊尾大雅さんは、精神保健福祉士という資格を持つ、メンタルヘルスに精通した社会保険労務士です。
企業に対しては、法律の理解や運用だけではなく、労務管理や就業規則をつくる際に「企業が目指す世界観」をいかに形にするか、ということを目指しています。
就業規則は、会社のルールブック、業務マニュアルという視点に加えて、経営者のメッセージという意味があります。特に経営者のメッセージは、法律で決めることはできません。現在はそれに加えて「社員からのメッセージ」という視点を加えています。「労使関係」というと対立的なイメージになりますが、「役割の違い」とするならば、同じ目的に向かって取り組む共同体です。そのような考え方ができるよう、加えるようにしたそうです。
社会保険労務士には、解雇や雇い止めなどに関する相談と、その対応に関する相談も寄せられます。解雇された方々にも人生があり、退職しても人生は続いていきます。その方々が退職後どうなるのか? という想像もしながら関わっています。会社にいる間だけではなく、その場にいなくなってからも存在する人たちのことを考えることが必要だと脊尾さんは考えています。
企業理念
理念(philosophy)
『世のため、人のためになることをする』
使命(mission)
『共生共働の社会を創造する』
創造したい未来(中長期vision)
『希望を見い出し、可能性を試せる社会へのチャレンジをする』
『社員自ら、人に寄り添い、人から学び、やさしさをおくる人となり、誰かのために情熱を注ぐ』
「最期の日まで、出勤してくださって構わないです」
「まだ働きたい」と願う、がん患者の雇用
脊尾さんは2019年にがんサバイバーの方と会話した際に、がんに罹患している方が苦労していることについて聞きました。その時、将来への不安や孤独感など生きるために治療をするのに、今後の不安も払拭できない状況ではさらに体調は悪化していくのではないかと気付きました。
そこで、秋葉原社会保険労務士法人が受託している給与計算業務を活用して、がん患者の方を雇用できないかと考えました。業務をフォローするための社員2名を採用し、在宅で仕事ができる仕組みを構築。
2019年3月に「雇用をします」とSNSを通じて発信しました。その時に多くの仲間がSNSをシェアし、そのなかの一人がキャンサーペアレンツという団体関係者を紹介したことから、水戸部裕子さんというがん患者さんの雇用につながりました。
水戸部さんは、2018年に肺がんステージ4の告知を受け、まもなく離職。手術もできない、放射線治療もできないという現実に直面し、一時は生きる気力を失うほど落胆し、悲しみと不安を抱えていました。
そんな中、同じようにがんと闘っている方々との出会いをきっかけに、「笑ったり、好きなことをしたり、仕事をしたりしながら、人間らしく生きたい」という気持ちを強く持つようになり、秋葉原社会保険労務士法人のがん患者としての求人に応募したそうです。
「最期の日まで、出勤してくださって構わないです」。これは採用面接の際に、脊尾さんが水戸部さんに伝えた言葉です。数時間にわたって水戸部さんの思いを聞き取り、寄り添いました。お互いに涙を流しながら、「最期まで働きたい」「働き続けてほしい」という約束を交わしました。
挑戦できる環境で新たな世界を切り開く
ブログが注目を集め、書籍に
水戸部さんの業務内容は、給与計算業務とホームページのブログ執筆です。給与計算は給与の締日と支払日が確定しているため、治療との組み合わせがしやすい業務です。ブログ執筆は、水戸部さんの体験を多くの方に知ってもらうことで、同じように病気と闘う方や、その周囲の方の役に立つのではないかと思い、脊尾さんから依頼しました。
このブログがあるラジオ局の目に留まり、人気番組内で、がん罹患者本人の体験談として取り上げられました。その後は大手新聞社、テレビ局、学術団体などからも声がかかるようになりました。
ブログの内容をより多くの人に届けるため、約2年にわたり綴られたブログの内容を書籍化するプロジェクトも進められました。2023年4月17日に発行され、がんや病気と闘っている方、病気の家族を抱えている方、患者や障害者などの雇用を考えている企業などから大きな反響が届いています。
書籍のタイトルは『がんなのに、しあわせ』。水戸部さんは書籍の中で、秋葉原社会保険労務士法人で働くことについて次のように語っています。
「進行がんを患いながら、新しいことに挑戦しやすい環境は本当にありがたいものです。代表の脊尾さんのおかげで、新たな人との出会いが沢山あり、刺激をいただき、自分には何ができるかを考え、見つめ直し、仕事やプライベートに関わらず、わたし自身で新たな世界を切り拓くこととなりました。
(中略)わたしにとって、ここ秋葉原社会保険労務士法人は、自分を磨ける場所となりました。
それは、脊尾さんの想いや人柄、そして、社員の皆さんのやさしさや責任感に支えられてのこと。人の奥深さや本質を知り、自分を信じてあげることが、やっとできるようになり、成長させていただきました。」
水戸部さんは、最近では請求書業務統括管理や、未来創造企業の協働の取り組み「社員シェア」にも加わっています。自社を超えて、想いを共にする異なる企業で、社員が貢献する山梨県の調剤薬局と連携し、地域へ向けたニュースレター制作の仕事も始まっています。そのニュースレターの効果はすぐに出て、地域で新たな取り組みにつながっているそうです。さらに、自身で「がんサロン」を始めるなど、新たな仕事に挑戦する姿は人に勇気を与えています。
千代田区を「まるごと職業体験の場」へ
地域の学生の雇用と地域活動の展開
画像出典:アーバニスト@千代田
脊尾さんは2020年、地元・千代田区を「まるごと職業体験の場」として活用する取り組み案を発表しました。
まるごと職業体験とは、千代田区の企業にインターンとして学生を迎え、職業を体験してもらう取り組みです。社会に出る前の学生にとって、実際の企業での体験が将来に活きると考えたからです。
脊尾さんは以前、クリニックの精神科でソーシャルワーカーとして勤務していました。その経験から、幼少期の体験が、良くも悪くも将来に影響を与えることがわかっていました。企業では、独創性があったり、個性が際立っていたりする人が重宝されます。同時に協調性のある行動も求められ、それらが自分にできるかを試すことで、将来の自分の活躍がイメージできるはずです。
また、保護者にとっても身近な企業を知る機会にもなります。多様な働き方や生き方が尊重される時代において、地域の企業を知ることは、キャリア選択の一つにつながります。まるごと職業体験は、最終的には、親でもなく友達でもない、第三者の年上の人との「ナナメの関係」を地域につくることで、豊かな人生を送るためのインフラにします。
この取り組みを聞いた千代田区在住の大学生が関心を示し、秋葉原社会保険労務士法人にアルバイトとして入社しました。地域活動と社会保険労務士業に興味をもっており、入社後は社会保険労務士業務の一部を担当するだけでなく、「ちよだコミュニティラボ」という千代田区のコミュニティでの活動にも参加し、千代田区の未来を考える活動をしています。
良い会社の基準を目に見える形にする
「未来創造費」が広げる活動の輪
事業を通じて、信頼や評判、共感など、目に見えない資本が積み重なった結果として、事業のさらなる発展がある。脊尾さんはそう信じて行動しています。
それを可視化できないかと考え、秋葉原社会保険労務士法人では「未来創造費」という勘定科目をつくりました。
これから始まる事業の一部を、未来創造事業と位置付けています。未来創造事業は、自社だけではできないことを、未来創造企業等と連携して行う事業です。
秋葉原社会保険労務士法人は、未来創造企業に認定されてから多くの事業を始めましたが、自分たちだけでは目指す世界観以上のことはできないことに気付きました。
自社で取り組んでいるだけでは、限定された社会課題解決にしか向かうことはできません。他の未来創造企業と連携をすることで、自分たちでは取り組めない事柄に対しても取り組んでもらうことができます。より遠くまで「社会のために活動してくれ!」という想いでつなぐバトンが「未来創造費」です。
未来創造費は、通常の世間相場の委託料を支払うのではなく、収益の〇%という決め方をあらかじめして、得た利益を共に社会のために再分配していきます。
1社ではできないことをバトンによって、より遠くまで広い範囲で活動をします。未来創造費の支払いが多い会社は、未来を考えている企業であり、未来創造費としての収入が多い会社は、社会から必要とされている会社という見方ができます。未来創造費としての収入が多い会社は、いずれは「社会的評価の高い会社である」という常識をつくることができます。
<有識者の視点>
専門領域を生かして、人に係る社会課題を解決する
SSC評議審査員 天明 茂
大病を患っても「まだ働きたい」という気持ちのある患者さんに仕事の場を提供することは、どんな人とも共生協働できる社会づくりにつながっています。一般的に社会保険労務士は、労働保険や社会保険に関する法的業務を中心に、企業内で人事トラブルが発生しないよう経営者の相談に乗るのが主な役割です。
しかし、脊尾さんの場合は、就業規則の中にも社長のメッセージを取り入れるなど、経営理念の共有による社内の一体化を図ります。さらに、共に働くスタッフや依頼先の人の人生が豊かになるようサポートし、生涯現役で活躍できる仕組みを実現しています。社会保険労務士が社会に果たすべき役割や使命を「共生共働できる社会づくり」に置いている表れの一つです。
脊尾さんがこのような取り組みを行っている背景には、ソーシャルワーカーとしての経験が生きています。自分が培ってきた専門領域だからこそ分かることがある、寄り添えることがある。これを社会保険労務士の業務に組み込んで、「人」や「人生」「人事」に係る社会課題に向き合い、がん患者専用の人材紹介事業などの解決の仕組みをつくり出しているのです。これは脊尾さんの愛に裏付けられたとても高度で理想的なビジネスモデルと言っていいでしょう。
地域全体での「まるごと職場体験」では、インターンの学生一人ひとりにふさわしい実習を工夫して体験してもらうなど、ここでも人に寄り添った対応をしていることに感心します。
最後に、「未来創造費」は会計士の私から見ても画期的な科目といえます。自社の利益ではなく、社会を良くするための費用を予算計上する習慣が広がれば、社会はきっと変わっていくことでしょう。秋葉原社労士事務所が日本の社労士業界を牽引してくことを期待しています。