社会変革のためのプロジェクト

2024/11/20

正論・管理では人は動かない。4代目の次期社長の鎧を脱ぎ捨て社員と話し合った2日間が無変化・無風状態の会社を変えた。

●創業:1948年
●業種:卸売業、小売業(自動車部品全般の販売)
●第2期未来創造企業認定
●未来創造企業としての取り組み:社員と共に会社の未来を考えることによる組織変革

 


 

経営者1人ではなく、社員とともに会社を変える。


2019年からスタートした未来創造企業の認定。

田口産業は2020年(第2期)にチャレンジし、認定を受けた。


同社の76年間の歴史において、

この出来事は過去にない大きな変革となったことは確実だ。


創設者の孫であり、代表取締役の田口雄也氏は

入社以来、旧態依然の社内体制を変えようと、1人でもがき続けてきた。


だが、社歴の浅い若手社員が、大半を占めるベテラン社員に一方的に伝えても

正論では心を響かせることは難しい。


未来創造企業への取り組みで、田口氏は「鎧」を脱ぎ捨てた。

自分の話だけをするのではなく「社員の声」を聴いた。

自分が指示や管理をするのではなく、社員の主体性を信じた。


その結果、会社は変わった。

社員とともに築いたビジョンの上に、社員の可能性が開花していった。


「経営者1人ではなく、社員とともに取り組む」

未来創造企業のポリシーが、1つの歴史ある会社を大きく変えた。

 


 

【目次】

●事業承継のために入社。初日に受けた衝撃の出来事
●営業部長から書類を投げつけられながらも改革を推進

●未来創造企業の最初のチェックシートは110点中37点だった
●次期社長の“鎧”を脱ぎ捨てて、幹部社員と話し合った2日間

●社員を「管理」することから、「信じる」ことへ

●今期最高売上を達成。今後も改革は続く

 


 

事業承継のために入社。初日に受けた衝撃の出来事

注釈:2015年頃の田口産業 本社事務所の様子


1948年創業の田口産業は、自動車整備工場への部品の卸売りを事業として安定した経営を続けてきた。そのなかで2020年に未来創造企業の認定を取得したことは“大きな変革”をもたらす一手となった。


同社創設者の孫であり、現在は4代目として代表取締役を務める田口雄也氏は、認定に挑戦する以前の状況について次のように振り返る。


「当社の受注数は自動車の台数に依存するため、売上を急激に増やすことは難しく、同様に減ることもない。ただ、景気の影響を受けるところがあり、好景気だった1990年に年商10億円を達成したものの、その後は緩やかに減少し、2011年はリーマンショックなどの影響もあり、6億円を下回っていた」


田口氏はその頃、新卒で入社した上場企業であるガス会社で働いていた。客観的に同社の芳しくはない状況を見つめていたが、2015年、28歳のときに家業を継ぐことを決意する。


「入社1日目にオフィスのドアを開けると、ベテラン社員が見向きもせずにタバコを吸ったまま『おう』の一言だけ。やばいところに来てしまったと後悔した。国内景気の影響で売上は少しずつ回復していたが、父は業界の特性もあってか事業戦略をもたず、『戦略は何もしないことや』と言うような状況だった」


企業を現す表現で「風通しがいい」という言葉があるが、同社は無風状態だったという。何かを言えば「余計なことはするな」と父親である会長から面倒がられ、売上を上げるよりもいかにコストを下げるかばかりを重視していたと田口氏は話す。


「『やっても、やらんでも一緒やしな』という会話が、社内からは聞こえてきた。そんな頑張っても報われない状況を、私は何とかしたいと思った。」

 

営業部長から書類を投げつけられながらも改革を推進

 

その状況に田口氏は強い危機感を覚えた。前職を辞める少し前から、将来は家業を継いで経営を担うことを見据え、ビジネススクールに入学して勉強を続けてきたからこそ、より一層、「このままでは厳しい」という思いは強かったのだろう。


「さすがに手書きの伝票やFAXはだめだと思って、まずは父親から経理部門を奪い取るように引き継いで、立て直しを行った。前職では管理部門で働いていたのでお手の物。父からは『パソコンなんかで楽をするな』と怒鳴られたが、喧嘩をしながらも実行していった」


さらに、2017年にはそれまで実施されていなかった営業会議の開催方法を提案した。全社で明確な目標を立て、それに向けた戦略を立案して、結果を評価・分析を行うという、PDCAを回す一般的なスキームだ。「ただ、それも当時50歳の営業部門長から『面倒くさい!』と書類を投げつけられた」と田口氏。それでも父からは少しずつ経営面を任されるようになり、1人で少しずつ改革を進めていった。


さらに会社を改革しようと、2018年には経営実践研究会に入会する。これが田口氏、そして同社にとっても、転機となっていく。


「それまでもさまざまな勉強会に参加していたが、お金をたくさん稼いでいる経営者に出会っても幸せそうに見えなかった。勉強会で知り合った経営実践研究会の会員の方に『本業での社会課題解決を重視している』と聞き、興味をもった。ホームページを見ると『経営実践研究会の懇親会は何かが違う!』とあり、気になって参加すると、会を立ち上げた藤岡会長が『金を稼いでも幸せにならないし、このままでは日本はダメになる』と話していた。社会に対して何を役立てていくか、その先に何があるかの問いかけをしていて強く共感し、入会した」

 

未来創造企業の最初のチェックシートは110点中37点だった

 

入会から2年後の2020年に田口氏は未来創造企業の認定にチャレンジすることを決める。会の多くのイベントに積極的に参加し、運営にも参画するようになっていたため、自然の流れだったと振り返る。


2019年春頃、未来創造企業のチェックシートの自己評価を行ったところ、結果は散々なものだったという。


「企業としてのビジョンはあるかなどの前提条件のほか、地球や社会、地域など7分野85項目があるなかで、合計点数110点中37点だった。ビジョンもなく、会社の現状はよく理解しているから、点数を取れると思っていなかった」


1年後の最終審査で認定されるためには70点以上の得点が必要になる。そのほかにも、どんな社会をつくるために何を実行していくかなどを記載するプロジェクトシートを提出して、審査が行われる。


未来創造企業の取り組みでは1年間の期間で2か月に1回の研修が実施される。7月頃に藤岡会長との中間面談があり、現状に対するフィードバックが実施された。


「当時はコロナ禍で研修が中断されていたことなどもあり、取り組みが進んでいなかった。面談でまずはビジョンをつくることと、社員に対してどんな仕事をしたときにやりがいを感じたかと同時に、どんな仕事はやりたくないかを聞くことのアドバイスを受けた」

 

次期社長の“鎧”を脱ぎ捨てて、幹部社員と話し合った2日間

 

未来創造企業の取り組みは、経営者1人で行うのではなく、社員も一緒に研修を受けて行うという方針がある。それは「経営者だけが変わっても社員が変わらなければ会社は変わらない」という考えがあるからだ。


「幹部候補のマネージャー2人に対して、私から『話を聞きたいから時間をつくってほしい』と声をかけた。それまでは目の前の仕事に追われてそういう時間は取れなかったし、私自身コミュニケーションが得意なタイプではないこともある。また、次期社長としての“鎧”もあって、気軽に会話ができなかった。初めてその鎧を外してコミュニケーションを取った」


4人で2日間話し合い、ビジョンをつくりこむ。田口氏は自分の思いを語ると同時に、幹部社員に対して「どんな会社にしたいですか」と問いかけを行った。


ビジョンは幹部社員の言葉から生まれた――。

『豊かな「間」づくりをする』


会社は、様々な人やモノや想いがつながる接点、つまり「間」であると捉え、時間や空間、仲間、今まで出会うことのなかったものが、つながるところ、そのつながりの多さこそが「豊かさ」であると考え、日々の仕事を通じて「間」づくりを行うと、同社の存在意義を定義した。


「ビジョンが決まった2日目の夜に4人で酒を飲んでいると、50代の幹部社員から『田口産業は変わった。前は何かをやってもやらなくても変わらないと思っていたが、10年後が楽しみになった』と言われた。この2日間があったから社員と関係性をつくり替えることができたと私自身実感している。それまでの私はベテラン社員からすれば、最近入ってきて会社の状況もよく知らないのに戦略や数字を言ってくる腹立たしいと思われていたはずだ」

 

社員を「管理」することから、「信じる」ことへ

 

未来創造企業への挑戦を通じて、田口氏は「社員を信じるようになった」と言い切る。


「それまでは売上や社員の行動の管理で業績を上げようと考えていた。でも話し合って彼らを心から信じるようになったら、気づけば自分も『何もしないことが戦略』と、父と同じことをするようになっていた。こう動いてほしいとコントロールしていたところから、その人の思いを重視したアンコントロールの世界に変わった。その基盤には企業のビジョン、理念が必須で、それがないと無法地帯になる。その基盤の上で社員が自由に行動することは咎める必要がなくなるとわかった」


ほかにも田口氏は、未来創造企業への挑戦を通じて大きく変化したことがある。


「以前の私はビジネススクールに通い、ビジネス書を読み漁り、たくさん勉強していてから“ロジック”を重視していた。でも、未来創造企業を通して『ロジックじゃない』と実感した。認定された会社はどこも良くなるが、社員が生き生きする会社、新しい事業が生まれる会社、社員が社長を注意するようになるぐらい自立する会社など、その道筋がどこも違う。なぜなら、社員1人ひとりの資質が違うから。未来創造企業の取り組みはそれを開花させていくことであり、その環境をつくることだとわかった」


最終的にチェックシートの点数は78.5点にまで増え、プロジェクトシートも評価され、同社は「第2期 未来創造企業」としての認定を受けた。点数付けはその後も毎年行い、現在は90点近くにまで上がっているという。

 

今期最高売上を達成。今後も改革は続く



未来創造企業の認定は、田口氏や幹部社員を変えただけでなく、多くの社員も変化させた。それを表すエピソードとして1人の社員の話を田口氏は挙げる。


「長年勤めた高齢の社員が病気で働けなくなり、2022年に退職した。その後、亡くなってしまい葬式に行くと、棺桶には田口産業の名刺とユニフォームが入っていた。ユニフォームは未来創造企業の取り組みの一環として、全国の福祉作業所とものづくりの連携をしているNPO法人に依頼して作成したもので、『着るだけで社会貢献になる』と全員で着用していたものだった。奥さんからは『仕事が好きで休んでくれと言っても、休んでくれへんかったんですよ』と言われたことが忘れられない」


今年から田口氏は代表取締役に就任し、名実ともに会社を率いる立場になった。その際に改めて幹部社員と「今後どのような会社にしていきたいか」と話し合いの場をもったところ、スムーズに進行できたという。


「それができたのは4年前の未来創造企業の取り組みがあったからこそ。そのときに話した幹部社員は『現場の責任は全て俺がもつ』と言ってくれた。経営者は社員に『将来、どんな会社にしたいか?』という問いかけは何かきっかけがないと難しい。『社長、急にどうした?』と思われてしまう。未来創造企業への挑戦があると、それが自然にできて、みんなで取り組める。話し合っていくことで、本当に会社が変わっていく」


同社は今期、過去最高の売上を記録した。さらなる躍進への改革は続いていく。