社会変革のためのプロジェクト

2024/11/19

愛でいけるやん。宮田運輸の社員を信じる「心の経営」が町に広がる。こどもミュージアムプロジェクト・みらい会議・福島の取り組み

※本記事は書籍『伝えたい、未来を創る会社―社会を変え、人を幸せにする会社 未来創造企業』(2023)から再編集しました。

 

●創業:1958年
●業種:一般貨物自動車運送事業
●第1期未来創造企業認定
●未来創造企業としての取り組み:トラックにドライバーの子どもの絵を飾る「こどもミュージアムプロジェクト」、自由に発言できる「みらい会議」、被災地・福島の物流復興への貢献「FUKUSHIMA 22nd Century Project」

 


 

トラックが本当に大好きな少年が成長し、

事業承継した運送会社、宮田運輸。


宮田氏が社長に就任して数年、

事業を拡げ、数字としても成長を続けるなか、

発生したのが、自社車両とスクーターによる死亡事故だった。


事故をきっかけに経営方針を変えた。

管理するのではなく、「人(社員)」を信じる「心の経営」。

人を動かすものは「ルールではなく愛」だと気付いた。


「心の経営」を起点に新しい取り組みが生まれた。

その名は「こどもミュージアムプロジェクト」。

ドライバー自身の子どもが描いた絵をトラック背面に飾ることで

事故率は減少し、事業も上向いた。


そして今、宮田運輸は新たな挑戦に取り組んでいる。

福島県における東日本大震災からの復興だ。

物流という本業を通じて、宮田運輸は志を実現している。

 


 

【目次】

●事故をきっかけに起こった変化社員を100%信じる「心の経営」にシフト

●事故や違反を軽減させた「こどもミュージアムプロジェクト」ドライバーの安全運転への意識を変えた取り組み

●ドライバーの気持ちを動かしたのは「ルールではなく愛だった」やさしさこそが人や社会を変えていく

●会社の未来をみんなで考える「みらい会議」気づきと安心感が生まれるコミュニケーションの場

●福島県富岡町の物流拠点づくり人々の生活と未来を取り戻すための事業を行う


<有識者の視点>
SSC評議審査員 天明 茂
1人の経営者の思いが、多くの人を励まし動かしていく

 


 

事故をきっかけに起こった変化
社員を100%信じる「心の経営」にシフト

 

宮田運輸は、大阪に本社を置く、主に食品や日用品を運ぶ物流事業を中心とした運送会社です。運送に加え、倉庫管理、共同配送、物流コンサルティング、物流システム構築まで幅広く手がけています。地域貢献にも取り組み、阪神淡路大震災の時には被災地に水を運び、東日本大震災の際には除染土壌の運搬を行うなど、さまざまな活動を行ってきました。


代表取締役社長の宮田博文さんは4代目。子どもの頃からトラックが大好きで、18歳で免許を取得し、宮田運輸に入社しました。2012年に代表取締役に就任した当初は家族経営からの脱却を目指し、数値目標を掲げて従業員への管理を強め、業績重視の経営を徹底していました。その効果は数字にも表れ、売り上げも利益も改善しました。


しかし、就任から間もない2013年、社員に無理をさせていたことが原因となり、自社のトラックとスクーターの事故が発生。スクーターを運転していた男性は、亡くなってしまいました。


「たった今、自分の息子は命を落とした。この息子には小学校4年生の女の子がいる。そのことだけは分かっておいてくれよな」


事故で亡くなった男性の父親から、宮田さんが受け取った言葉です。事故の直後、病院に駆け付けた宮田さんが案内されたのは、病室ではなく霊安室でした。すでに男性の遺族が数名集まっている中、一人の男性に慎重に声をかけ、「事故を起こした会社の社長です。本当に申し訳ございませんでした」と、名刺を差し出しました。その方は、亡くなった男性の父親でした。父親はとてもやさしい静かな口調で語り、その言葉が一層重く響いたと言います。


亡くなった男性は当時43歳で、事故を起こしたトラックのドライバーと同じ年齢でした。ドライバーの男性にも、小学生の娘が2人いました。宮田さんは病院を出てすぐに、ドライバーの自宅に向かい、事故の責任はすべて会社にあること、事故の対応が終わったら、彼には今まで通り仕事を続けてもらうつもりでいることを伝えました。家族を安心させたかったのです。宮田さんは、遺族はもちろんのこと、ドライバーの家族も、責任を持って支えていくことを決意しました。 


この事故をきっかけにそれまでの経営方針を一転します。「人」を大切にし、管理するのではなく社員を100%信じて任せる「心の経営」へと変化させました。

 

<経営理念>

私たち宮田グループは、全従業員と幸せを分かち合い社会に『夢』・『感動』・『喜び』を提供する企業を目指し、未来の進歩・発展に貢献します。

 

事故や違反を軽減させた「こどもミュージアムプロジェクト」
ドライバーの安全運転への意識を変えた取り組み

 

「心の経営」の具現化として、同社は2014年から「こどもミュージアムプロジェクト」をスタートしました。


トラックの後ろに、ドライバーの子どもが描いた絵やメッセージをラッピングする取り組みです。ドライバーによる事故抑制に効果があり、全国の308の事業者や、海外にも活動が広がっています。宮田さんは、会社の枠を超えて「良心が響き合う社会」を目指し活動しています。


このプロジェクトのきっかけは、あるドライバーが、トラックのダッシュボードに自分の子どもが描いた絵を飾っていたことでした。そこには子どもの字で「お父さん いつもありがとう あんぜんうんてん がんばってね」と書かれていました。そのドライバーは自身の子どもからのメッセージを毎日見ながら運転に励んでいたのです。


その絵を見た宮田さんは「これだ!」とひらめきました。


子どもたちのメッセージは、ドライバーの心に真っすぐに届きます。このような絵やメッセージを日々背負うことできっと変わるはず。トラックの背面に大きく、子どもたちの絵とメッセージをラッピングしました。これが「こどもミュージアムトラック」の始まりでした。


トラックに子どもの絵やメッセージをラッピングすることで、ドライバーはよりていねいに運転をするようになりました。また、出発前にトラックを清掃、整備する手にも力が入ります。子どもたちの絵が与えてくれる「やさしさ」を通して、ドライバーが「事故を起こしてはいけない」という自らの意識を向上させるようになったのです。

 

ドライバーの気持ちを動かしたのは「ルールではなく愛だった」
やさしさこそが人や社会を変えていく

 

じつは、このプロジェクトをはじめる前から、宮田さんは2013年の事故以降、さまざまな方法で事故をなくそうと取り組んでいました。


その中には、ドライバーに対して指示や命令、ルールで縛ろうとする方法もあったそうです。しかし、最後に、一番ドライバーの気持ちを動かし、安全な運転を実現したのは、「ルールではなく愛だった」と言います。


宮田さんたちは「やさしさ」は世界を変えるものと信じ、すでに活動している個人、企業を問わず「やさしさ」で共存し合える仲間と協力し合い、各々の活動が少しでも世の中に広まるように助け合い、より良い社会を目指しているのです。


実際に「こどもミュージアムトラック」を始めてから、事故率は4割減少。違反も減少し、ていねいな運転になったことから燃費が向上し、ガソリン代を減らすことにもつながりました。この取り組みは経営上も大きな結果を生んでいます。


さらに、ラッピングされる絵を描く子どもたちにとっても意味があります。自分自身が描いた絵が大きくラッピングされて、街中を走ることは大きな誇りとなります。子どもたちが自己肯定感を向上させることへの一助も担っています。


現在は、「一般社団法人 こどもミュージアムプロジェクト協会」を設立し、トラックへのラッピングだけではなく、他のモノや壁面へのラッピングなどを事業として展開。メディアにも多数取り上げられ、全国、そして海外にも取り組みが広がっています。


2019年にはドキュメンタリー映画「愛でいけるやん ~ 宮田運輸がひらく道 ~」が制作されました。この映画は、事故後の宮田運輸の日常を描いたもので、映画制作会社からのオファーを受け、4年半密着した撮影が行われました。その年の11月から全国各地での上映がスタートすると、こどもミュージアムプロジェクトの取り組みをより深く知る人が増え、さらに共感の輪が広がっています。

 

会社の未来をみんなで考える「みらい会議」
気づきと安心感が生まれるコミュニケーションの場

 

宮田運輸では、事業所や部署、役職を超えて自由に参加できる「みらい会議」を月に1回開催しています。毎回70〜80名が参加しています。驚くのは、この会議には社外からも誰でも参加できることです。


会議では、参加者が自分たちの取り組みや考えなどを発表し、それに対して社長がコメントを返します。事業所によっては、幹部社員だけでなく、現場のメンバーが自主参加し、発表することもあります。社長からは毎回、現場に対する感謝や、前向きな言葉がかけられ、従業員みんなが、会社を安心安全な居場所だと感じられるような温かい雰囲気が場を包みます。外部から参加した経営者が、その空気に触れて感動し、涙ながらに自身の話をすることもありました。


みらい会議で考えを発表し合うことで、事実と解釈の違いや、向き合う相手の奥底にある本当の思いを感じることの大切さなど、あらゆる方向からの学びがあります。例えば、「相手が怒っているのは、寂しさに原因があった」など、コミュニケーションにおける大きな気付きを得ることもあるそうです。


みらい会議を重ねることによって、それぞれの主体性が育まれるようになるなど、仕事や生き方に対して良い影響を与えています。

 

福島県富岡町の物流拠点づくり
人々の生活と未来を取り戻すための事業を行う

 

宮田運輸の新たな挑戦は福島県で進んでいます。それは、福島県富岡町に物流拠点をつくる取り組みでした。


東日本大震災において、富岡町は津波の直撃を受け甚大な被害を受けました。富岡町は福島第一原子力発電所から十数キロの場所にあるため、原発事故によって町は帰還困難区域に指定され、住民は避難を余儀なくされました。その後、長い時間をかけて、町の避難指示は段階的に解除されるようになりましたが、震災前に16000人いた町の人口は、まだまだ戻ることができていない状態にあります。


宮田運輸は、福島への復興支援のため、これまでも除染土壌の運搬に取り組んできました。震災直後、宮田さんは「何かできないか」と考え、3台のダンプカーを新たに調達。当初はこの3台のダンプカーを福島に派遣することから始めました。この取り組みは、被曝の恐れがある仕事にもかかわらず、運搬ドライバーに立候補した社員がいたことから実現しました。


この取り組みによってできた縁から、ある日、富岡町役場の企画課の担当者が宮田さんを訪問しました。


そして、「帰還困難1区域解除のあと、産業団地をつくる計画があるが、工場誘致が進んでいない。その理由の一つに、物流拠点がないことがあげられる。富岡町に人が戻って来れるよう、物流を復活させたい」と相談を受けました。


震災以降、富岡町にも郵便や小規模な物流は復旧していました。しかし、企業が利用するような大型の物流がまだ復旧していなかったのです。モノが流れなければ、企業は事業を行うことができません。企業が戻ってこなければ、働く場所もなく、住む人が戻ることも難しくなります。震災以降、長い時間が経っても、富岡町にはまだ暮らしていくためのインフラが十分には復旧できていなかったのです。


宮田運輸を訪ねた町の担当者からは、涙ながらの相談を受けました。これに対して宮田さんはその場ですぐに決断。富岡町に宮田運輸の物流拠点をつくることを決めました。


事業上の観点からいえば、勧められたものではなかったかもしれません。まだ、この場所には企業が戻っていない、つまり、顧客はいないのです。それでも拠点を出す。拠点を出すことで、企業の誘致を進める。町のために、宮田さんはそんな決断をしました。


宮田さんは言います。

「たとえ、これで宮田運輸がだめになっても、つくった拠点はこの場所に残る。そうすれば、この町に物流はできる」


宮田さんは未来から今を見た時、何が大切なのかを考えている経営者です。宮田運輸を存続させることだけに留まるのではなく、多くの人の役に立つ事業を行いたい。これが、宮田さんの志なのです。


宮田運輸は、この取り組みを「FUKUSHIMA 22nd Century Project」と名付け、富岡町の産業団地に7600坪の土地を借り、900坪の倉庫を建築。宮田さんは、22世紀に生きる子どもたちのために、今自分たちにできることを常に考えています。

 


 

<有識者の声>

SSC評議審査員 天明 茂

1人の経営者の思いが、多くの人を励まし動かしていく

 

宮田さんが社長に就任して1年目、悲しい事故をきっかけに、宮田さんの「人」を大切にする経営が始まっています。


会社の存続を脅かしかねない大事故に対し、誠心誠意対応して被害者の赦しを得ただけでなく、拡大経営から人中心の経営に転換したことは、宮田運輸の第2の創業と言ってもいいでしょう。


運送会社の経営のハンドルを握っているのは、一人ひとりのドライバーです。ドライバーのハンドルさばきが経営を左右するのです。宮田さんはそのことをしっかりと見据えて、社員の幸せを叶える会社にしようと決めたのです。


日本ではまだCSV(共有価値の創造)という言葉が目新しかったころ、宮田さんは「国際CSV事業部」を設置し、外国人2人を配置しました。その効果もあって、「こどもミュージアムプロジェクト」は日本だけでなく海外まで賛同者が増えています。


言葉や国境を越えて、優しさで世界をつないでいるのです。トラックのドライバーは、一日中、一人で運転をしています。交通渋滞でイライラすることも少なくないでしょう。そんな時に「家族と一緒に走っている」という安心感が、4割という業界では驚異的な事故率の軽減につながっているのです。


このラッピングトラックのアイデアは、あるトラックのダッシュボードに子どもが描いた絵が置かれていたことから生まれました。宮田さんがこの絵に気付いたのは、日頃から問題意識を持って現場を注視している習慣のたまものでしょう。


富岡町に物流拠点をつくる取り組みも素晴らしいことです。採算が合うかどうかではなく、社会にとって必要かどうかで決断する。そうして動きながら段々と採算が取れるビジネスモデルに練り上げていく。「義を明らかにして利を計らず」は江戸末期の山田方谷の言葉ですが、宮田さんは間違いなくこの道を歩んでいると言えるでしょう。