委員会活動
Committee activity
橘俊夫 東邦レオ株式会社 代表取締役社長 / 一般財団法人レオ財団 理事長
あなたがカリスマ経営者なら利益を出すことも、会社を成長させることもたやすいだろう。しかしそんな経営者にもいつか必ず会社を去る日がやって来る。あなたが会社を去った後、今まで通り、あるいは今まで以上に事業を発展させることはできるだろうか?そこで問われるのが「経営技術」だと、東邦レオ株式会社代表取締役社長の橘俊夫氏は言う。<編集部より>
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株式会社シーエフエス 代表取締役 藤岡俊雄(以下、藤岡):現在、東邦レオ株式会社と一般財団法人レオ財団はどんなことをされているのですか?
東邦レオ株式会社 代表取締役社長 橘俊夫(以下、橘):東邦レオという会社は、今年50周年を迎えました。私は2代目にあたります。50年前といえば戦後まもなくの復興の時期です。戦争で何もかもなくなっていたので、建築需要が高まるというのは誰でも読めました。日本の建物は全て木造でしたが、木造から鉄筋コンクリート造りに変わっていくだろう、そんな中で1965年に私の父がたまたま見つけたのがパーライトという断熱材です。非常に面白い性能を持った素材でした。
「これは世の中に受け入れられるに違いない」という確信のもとに、「よし、これの会社を興そう」ということで父が作ったのが東邦パーライトという会社です。社員は7人、資本金は200万円くらいでした。そこからスタートして、今年ちょうど50年を迎えました。
いつの時代も変わらないのは、将来どういう時代になるだろうか、その時求められることは何なんだろうということを読み取る力、先見性が大変重要だということです。
橘:私は会社ができてちょうど10年経ったときに入社しました。この会社の特徴は2つあると思っていまして、1つは「オリジナリティーを追求する」ということです。他人がやるから自分もやるのではなく、先を読んだうえで、これが必要になるからこれをやる、独自性のあるものを見つけようということです。他社と差別化するためにはオリジナリティが必要です。
もう1つは、独自性があるものは誰も知らないわけですから、それを伝えていくのに大変重要な「パイオニアスピリッツ」開拓者精神です。
私は今から25年前、40歳のときに社長になりましたが、そのときに企業の遺伝子として何を受け継ぐべきか考えたら、その2つでした。時代はどんどん変化していくわけですから、変化の先にあるものに対して、独自性を持った新しい商品・サービスを作り続けるということを忘れてはならないと思います。世の中が10年後、20年後はこうなっていくだろう、人はどうあるべきだ、だからこういう商品とかこういうサービスを作るのだというようにですね。
何もない市場を広げていくのは、ない道を自分たちで作るということですから、本当に難しいです。我々はパーライトという素材を天井材とか壁材とか床材といった建築資材にして、販売したり施工する会社としてスタートしましたが、50年の間でどんどん変わっています。元々は物を売る会社でしたが、施工業であったり、デザイン会社であったり、でき上がった物を維持するメンテナンス業であったりします。
たとえば屋上緑化や壁面緑化です。大阪に「なんばパークス」という商業施設がありまして、施設の中が緑で溢れています。あの資材はかなりの部分を我々が開発した商品なんです。他にも「あべのハルカス」とか「大阪ステーションビル」とかありますけれども、あの屋上空間の緑化やメンテナンスも我々がやっています。昔はそこで作業する職人さんが主たる働き手でしたけれども、今は女性が緑の剪定をしたり、整備したり、お客様と対話するとか、そういうことがメインになってきています。どんどん変わってきているんです。
橘:会社を創業するときは、一人のカリスマ的な人間がいればある程度成功しやすいですよね。しかしそのカリスマがずっとその組織の中に居続けるということはまずないわけです。とするならば、どの会社でもぶつかる壁だと思いますが、どこかの時点では自分たちがこの会社の市場というものを作っていくという思いを持って行動できるような組織風土にしなければなりません。ともすると絶対的な人間が「俺の言う通りにせい」とか、「それが一番儲かる」とか、「言われたことをやれ」とか言います。言われたことを一生懸命やる人間が育ちますが、何をするのかを考える人間は全く生まれません。
そういう面では、初代、つまり創業者である私の父はすごかったと思うんです。普通にやっていたら会社というものは潰れるんだから、普通ではないことをやって生き残る。しかもある程度まで成長したのは、相当な変わった部分を持っていたからこそです。逆説的に言うならば、人と同じことをやらないからこそ、ある程度成功できたのだと思います。
橘:私はたまたま若いときに色々な場を与えられて、色々な経験をすることができました。青年会議所(JC)に33歳のときに入って40歳になるまで7年間いたんですけれども、JCのメンバーと我が社の社員では、同じような年齢で、同じような大学を出ているのに、なぜ違いが出るのかということに非常に興味を持って色々調べた結果、2つのことに気づきました。
1つは、JCのメンバーは賢くてもそうでなくても、間違いなく期待されています。「お前しかおらんから頑張れ!」というように期待されているというのがとても大きいと思います。「お前しかおらんねんから頑張れ!」と言われるのと、「まぁ頑張ってみぃ。それで良かったら引き上げたるわ」と言われるのとでは、人を育てるうえでは大きな差になると感じました。労力の問題ではないと思います。
そしてもう1つは、JCというのは単年度で色々役割が変わっていくわけです。まずは新入会員で入って、幹事をやったり副委員長をやったり委員長をやったり、役割分担ですよ。賢いからどうこうというのではなく、単年度、単年度で役割を色々とやります。だから上場企業の息子であろうと、東大を出ていようと、最初は新入会員から始まります。
それの何が大きいのかというと、情報量の差だと思いました。理事会などに出ると絶えず情報に触れてから色々なことが発信できるということがありましたが、全く何も知らずに何となく会議に行って「経営者的判断で発言せぇ」と言っても「それは無理やろ」となりますよね。
だとしたら、新入社員であろうがベテランであろうが、それなりの情報を与えなければならないのではないかと思いました。私はJCの中で、社員に期待するということは、社長になってから考えるのではなく、できるだけオープンにした情報を与えた上で「お前が社長だったら、お前が経営者だったらどうするんや?」と絶えず問い続けることが経営者マインドを育てるために重要だと感じました。
橘:本業の話に戻ると、うちの会社で誇りに思っていることのひとつは、50年間一度も赤字を出していないんです。そんな大した会社ではありませんが、毎年利益を上げているというのは何が要因かと考えたら、企業の経営トップとして赤字を出すのは恥だと思って経営しているからだと思うんです。
「会社というものは最初の3年ぐらいは赤字で、それから徐々に黒字になるのが当たり前だ」と思って経営するのと、創業のとき1年目から「企業として色々な社会のインフラとか人とか使うのだったら、それに対して赤字というのは恥ずかしいことだ、絶対利益を出すのがトップとしての仕事だ」と思ってやるのとでは、差が出るのは当然です。
うちの会社は初年度から利益を出し続けている。私はそれを受け継いだわけです。そうして来ているのを、私の代で赤字にするわけにはいかないから、絶対に利益を出すにはどうするのかという視点で物事を判断してきました。
利益は出るものじゃなくて、出そうと思うから出るのであって、決算を出さなければなりません。締めたら利益が出ていた、儲かっていたというものではないと思いますね。
藤岡:東邦レオという社名の「レオ」には意味があるとお聞きしているのですが、そのことについてお聞かせ頂けますか。
橘:社名変更は我が社にとって大きな転換期でした。私どもはパーライトという素晴らしい素材を加工して、天井材や床材・壁材に商品化して販売するというのが仕事だと思っていたんですね。あれは1985年、ちょうど会社が20周年を迎えたとき、今から30年前ですね。儲かっている時には内部分裂があったり、競合他社が出てきたり、会社の中に労働組合ができかけたりとか、混乱を極めた時期でした。その頃にたまたま大阪JCに入りました。私は朝から晩まで一所懸命仕事はしていたのですが、今のままではダメだなと感じました。しかし何をしていいのか、自分ではその答えがわかりませんでした。最終的には付き合う相手を変えようと思いました。自分の毎日の生活を振り返ったときに、朝起きて会社へ行って社員と話して、お客さんのところに行って、これの繰り返しをなんぼやっても変わらないと気づきました。自分の発想を変えるためには付き合う相手を変えなければと思い「そう言えばJCという若い経営者たちが集まっている団体があったな」と思い出して、事務局に申込用紙をもらいに行って自ら入ったわけです。
だからそのときの私は、社会開発とか世のため人のためではなく、いかにして利益を出すか、いかにしてちゃんとした会社にするのかという目的でJCに入ったわけです。伸びている会社と、うちみたいに伸びていない会社とは何が違うんだろうというのが、一番知りたいテーマでした。1~2年色々な企業を訪問させていただいて、2つの大きなことに気づきました。
伸びている会社は間違いなく、何のためにその会社が存在しているのかという、存在価値、経営理念、それがハッキリしています。何のためにこの企業は存続しなければならないのかということが明確で、トップ以下社員みんながそれを信じている会社というのは強いと思いました。経営というのはある種、極限状態の戦いだと思うんですよ。お金をもらえるからこの仕事をしようという人間の集まりと、この仕事をすることによって何をどう変えるのかということを本気になって考える人が集まっているのとでは強さが違います。「日当3万円あげるから戦いに行ってきて」と言われても「なんで3万円のために死ななあかんねん」と誰でも思いますよね。だから何のためにを明確にすることができていない会社は伸びていないのです。うちも今年いくら売り上げて、いくら利益をという目標はあるけれど、何のためにというのはなかったなと。これを作らなければというのが1つめの大きなポイントでした。
もう1つは、これは個人でも会社でも同じだと思いますが、5年後、10年後、20年後どうなりたいかという夢、ビジョンを社内で共有できているかどうかです。ホンダだってそうですよね。「世界のホンダになる」と言ってやるから、なれたのではないでしょうか。散歩していて気づいたら富士山の頂上にいたということなんてないわけで、やはり富士山に登ろうと思うから富士山の頂上にたどり着くわけであって。それをちゃんと明確に言うのがトップの仕事です。それがあって初めて、自分やみんなはこの会社の中で何をするべきか、役割が見えてくるわけです。今なんてどうでもいいです。
その2つが足りていないということに気づきました。だから経営理念というものを作らなければと思いました。創業から20年経っていましたから、父や以前からいる人たちが過去に使ってた言葉がどういうことなのか、うちが大事にしなければならない考え方はどういうことか、様々な角度から情報を集めて、社員の中で当社は何をするために存在しているか、ということを真面目に議論しました。
そこで面白い現象がありまして、「東邦パーライト株式会社は何をするために存在しなければならい会社ですか、何のために存在している会社ですか」とみんなに問うたら、答えはみんな同じ「パーライトを◯◯して◯◯する」なんです。人というのは知らず知らず言葉にものすごく影響を受けているのですね。
「東邦パーライト株式会社は・・・」と言われた瞬間に、「パーライト」が主語になるんですよ。「パーライトを◯◯して◯◯する会社」と思ってしまうんですね。議論が出尽くしたときに、ある人が「そんなん、パーライトよりもっと機能性が優れてもっと安い商材がこの世に現れたら、我が社は何をするんだ?」ということを言い出したんですね。
それで議論が止まります。そして「そんなこと言っても、うちはパーライトをやってるんだから騙してでも売りつけないと仕方ない」とか、「それならもうその時に廃業したらいい」とか、色々な意見が出てくるんですけど、何か違うなと気づいたわけです。
橘:「ああそうか。我々は20年間パーライトというもので色々と商品開発して販売してきた。しかしこれは我々にとって目的ではなく手段なんだ」ということに気づいたのです。そして手段が何だったかということを突き詰めると、天井とか壁とか床とか、パーライトが使われた断熱とか吸音という機能を持ったものを施工することによって、我々が提供していたのは「空間だったんだ。人が幸せに生きるための居住空間を提供するということが本来のうちの目的であって、その手段としてパーライトという素材をもとに商品開発して販売して施工してたのか」ということに気づきました。
東邦パーライトという会社から東邦レオに、LEO、LはLiving 生活のL、EはEnvironment 環境のE、OはOrganizer 貢献者ということでLEO、我々はパーライトを売る会社から生活環境に貢献する会社です。本来、我々はいかにして生活環境というものに社会貢献するために存在している会社なんです、ということに目的が変わりました。
この段階でものすごいことが起きるわけです。従来はパーライトを売るのが仕事だと思っていたわけですよね、パーライトを売るというのは、売れたら売り上げが上がって利益が上がるわけだから、我々にとってはメリットがあるけれど、お客さんの立場から考えたらパーライトであろうがなかろうが、自分たちにとって良ければ何でもいいわけですよ。そこに気づいていなかったんですね。
だからパーライトの持つ機能だけでなく、我々に吹き付け技術があるなら、別の素材と合わせて、本当にお客さんのためになる提案をしたらお客さんは喜ぶわけですよね。
また、パーライトというものをただ単に建築という建物の中に閉じ込めるのではなくて、都市環境という形で考えたら緑化をするなど都市空間に対して色々なものが提供できるという状況に変わりました。
1985年に「ターゲット90」と言って1990年を目指した5ヶ年計画を初めてうちの会社で作るんですけど、その時の売り上げは18億円くらいだったのが5年後に51億円になります。20年間かかって売り上げ18億だったのが、5年後に51億です。
藤岡:すごいですね。
橘:すごいでしょう。当時、京都産業大学経営学部長の教授がケースメソッドを書いてくれました。考え方を変えることによって、こんなにも。
藤岡:なるほど、なるほど。
橘:京セラの稲盛(和夫)さんの「動機善なりや 私心なかりしか」という言葉がありますけれども、本当にお客さんのためにという思いを持って、売ったら儲かるということではなく、お客さんのためになるにはどうするか、正しい考え方をするようになったことによってガラッと変わった。すごいことが起きたなと思いました。
藤岡:それはもう良い事例ですから、ぜひ講演して頂きたいです。経営者は経営理念を作ることに精一杯で、何のために経営理念を作っているかということがわからないのに、作った経営理念を何とか社員に浸透させようとする。これはもう経営者の身勝手なんですよ。いまのお話は、お客さまが一番の主体になっていますからね。しかも結果が出たというのが何よりです。
橘:その時の我々はお客さんの立場に立って問題を解決をするために何が大事なのか、というのを5ヶ年計画の目標にしたんですよ。お客さんの立場に立って我々が存在するということに変えたらゴロゴロと…。
藤岡:主力商品にこだわらず、主力じゃないものでやろうと。
橘:そうですね。そこは難しいところなんですが、当然計画は立てましたよ。けれども我々が「これは伸びるだろう」と思ったものはほとんど伸びなかったです。「こんなものが」と思ったものが売れて、なかなか思い通りにはいきませんでした。
橘:それ以来、売上高は80億円までは伸びるんですけれども、実は今ずっと70~80億円で停滞しているんです。今ちょうど50周年を迎えたところで、これから企業としてどうするか、色々と考えています。
私がこの会社に入社当時社員がちょうど100人いたんですね。「2000年の夢」というものを1985年に15年先の夢として作ったのですが、そのときの目標は売り上げ18億円を100億円にしようということと、社員100人を150人にして100億円の目標をやろうということで、社員は増やしたくなかったんです。
30年前のことですから、そこは先見の明があったと思うんですが、これからの企業というのは売り上げや社員数を誇るような社会ではなくなるだろうと考えました。そこにいる社員一人一人がその会社があることによって幸せを感じられるような会社が凄い会社であって、売上高が何兆円とか社員が何万人とかということは、社員にとって大きなテーマではないだろうなと思いました。会社というのは潰れるということが一番の罪悪ですから、やはり本当の意味での成長と膨張とは違うのではないでしょうか。
1人当たりの生産性をどう高めるか、それを維持しながら人が増えていくならいいけれども、人を増やして売り上げ・利益を上げるという考え方は、絶対に右肩上がりで確実に世の中が成長していくならありかもしれないですが、そうではないとするならば、経営移譲の失敗は全部社員にいくわけです。そんな判断をトップはしてはいかんだろう思います。
藤岡:そうですね。
橘:それがやっぱり、一番最初に言った「これからの時代はどうなるだろう」という先見性です。
その頃、会社は大きいほうがいいし、「社員1,000人だ」と聞いたら「すごい会社ですね」って言っていましたが、最近はもう社員が1,000人もいる社長を見たら気の毒だなあと。本当にそんな感覚になってきましたよ。
藤岡:成長を維持するためにグローバルだとか何だとか言って、どんどん行きますけど、成功事例はあまりないですからね。
橘:そうですね。もう1つ、うちの会社の特徴ということで、私は人がすごく大事だと思っているので、ほとんど新卒の採用だけで成り立っています。採用にはものすごいエネルギーをかけていますし、今年も厳しい中で6人内定を出しています。絶対に全員がうちへ来ると思います。どこでもいい中でこの会社というのではなく、この会社に入りたいというような人にピンポイントで魅力というか、その人に合ったものを提供できないと、これから中小企業というのは採用も絶対できなくなっていくでしょう。
藤岡:そうですね。
橘:ですからうちの会社では、どこどこの偏差値の高い大学にいるとか、成績の優が何個あるとかそんなこと全く関係なく採用しています。私は優秀な人間というのは、本当に自分自身が自分の人生をどう生きたいのか、何のために生きるのか、そのために自分の強みをこの会社でどう伸ばすのか、なぜ数ある中でこの会社を選んだのか、入ってからこの会社の中で何をしようとしているのか、そういうことを明確に感じる人のことだと考えます。どこでもできることなら他社に行ってもいいわけです。
同時に、過去の自分の人生において、言うだけではなく何か目標を設定してそれを本当にやった実績があるとかでもいいです。それは勉強じゃなくてもいいです、クラブ活動でも何でもいいですから、自分でやりたいことを決められるということと、それを実際にロジックを組み立ててやったという実績を持っている人は再現性があると思うんです。
ただ単に、親から勉強しろと言われて勉強して、成績が良くて東大に入りました。そういう人が来てくれても、企業に入ったら何も言われることはないわけですから、自分で考えなければならなくなります。今まで発揮してきた能力とは全く違う能力が求められると思うんですね。
藤岡:東邦レオとしてのこれからの抱負、ビジョンを最後にお聞かせ下さい。
橘:ちょうど今50周年を迎えていますが、後継者をどうするのかということと、100年続く一流企業になるというのが大きな目的です。私は5年ほど前、還暦を迎えたころに経営者として何をしたいのかな、何をやるのが一番自分にとって幸せなのかなと自問自答したんですね。
上場しようとか、いくらの利益を出そうとか、そんなことよりも一番大事なものは何なのかということを、色々考えた結果、この40年をずっと見たとき会社が存続していることがすごいことだと思いました。
私が24~25歳のときに採用を始めて、採用した人間が結婚し、子供を産み、子供の教育をして、そしていま定年を迎えるわけですね。それがなぜできたかというと、会社というものが存在していたからです。会社という基盤があるからこそ、人間は営みが、生活ができるわけです。
企業はずっと存続しなければならない。社長によって企業が売り上げがバーンと上がったり、逆に会社が潰れるようなことがあってはならないと考えます。そのために売り上げも利益も出すべきであって、売り上げや利益のために会社がどうなるかわからないような判断は絶対にしてはならないと思います。すごいカリスマ経営者なら簡単に利益を出せるかもしれませんが、100年というレンジだと、人が変わっても同じように利益を出し続けなければなりません。そのためにどういうものを残すべきか、変えてはならないものと変えるべきものをどう伝承していくかだと思うんですね。
私自身も今そこで大きな壁に当たっていましてね、どの時点でどのようにして譲ったらいいのだろう、また譲った人間がその次にどのような視点で経営者を選ぶべきなのか、というところが非常に大事なポイントだと思うんですね。
そこで私が思うことは、日本という国の素晴らしさです。天皇はすごいと思うんですね。戦争に負けたときに、「自分はどうなってもいいから国を守ってくれ」というトップリーダーの下で、我々は日本という国に生きているわけです。トップというものがどういう発想をするかによって全てが変わると思うんです。だから私の父は70歳のときに社長から相談役にポーンと退いて、私に社長を譲ったわけですけれども、その時に言ったことというのは「私がいることによってこの会社に老害をもたらすかもしれん」、「この企業の発展のために私は退いたほうがいいと思う」ということを言って、赤字も出していない、潰れかけてもいない会社をポーンと譲ったわけです。トップでいるということは全ての権限があるということですし、まして自分で作った会社ですから、好きなことをやりたかったと思うんですけれども、しかしやはり自分というものを抑えて、組織のために自己犠牲を払えるトップというものが居たからこそ、若いときに私は社長という立場を与えてもらえたわけです。
それが25年間何とか会社を潰すことなく今の状況があるのだとしたら、今度は自分自身がやはりそういう立場の人間をどうやって作るのかということを考えないと。自分はまだ元気だし、5年でも10年でもやれます。しかしそれよりも、そういうチャンスが与えられなかったら。自分がいなくなった時のことを考えたら、早くそういう場面を作って譲るということが必要なのではないかと思っています。
50年経ってこの程度の会社であるということは、私の良い部分ももちろんあったとは思いますが、足りなかった部分も絶対あると思うんです。でなかったらもっと伸びている、もっと伸ばせていると思うんですね。だからその足りなかった部分をどう補完するのか。「自分は一生懸命やったんだから、これで仕方ないじゃないか」ではなく、最近は足りない部分は外から持って来てもいいと思い始めました。誰でもいいから経営を任すというつもりはありませんが、これからの企業経営というのはある種の技術になってくると思います。
過去は一所懸命やってたら何とかなりましたよ。ところが、これからの時代の複雑系の中では経営者というのは経営技術を持っていないとダメだと思うんです。経営技術は十分条件だとは思いませんが、必要条件だと思います。少なくともそういうようなことがわかっている人でないと、これからの20年、30年を戦っていくのはなかなか難しいと思うんですよ。というのは、止めるという決断をしなければいけないからなんですよね。
今までほとんどの場合はどんな産業でも一所懸命やっていれば、市場のパイが増えていたわけですから、何とかなっていましたよね。これからはもう、いくら頑張ったって無理だというところは止めなければいけない。止めるということは何かをしなければいけないということですから、その2つのブレーキとアクセルをちゃんと操作するために、ちゃんとした分析能力がなければできません。
藤岡:本当にそうですよね。
橘:経営技術がものすごく問われる時代になるのではないでしょうか。ですから早く若い人にそういう立場を与えて、良いところを残しながら変えるところはどんどん変えて、新しく次の成長に持って行ってもらえるような人をこの数年間でどう作っていくのか、というのが、私にとって非常に大きな仕事だと認識しています。
次回後編はこちら >> 橘俊夫氏 企業はずっと存続して100年続かなければならない 後編
【在り方Webより 橘俊夫氏 企業はずっと存続して100年続かなければならない 前篇 東邦レオ株式会社代表取締役社長・一般財団法人レオ財団理事長】
<プロフィール>橘 俊夫氏
東邦レオ株式会社 代表取締役社長 / 一般財団法人レオ財団 理事長
愛媛県生まれ、甲南大学在学中に、自費で世界一周に出発、73年大手旅行社に入社。74年東邦パーライト(現・東邦レオ)に入社、90年同社社長に就任。93年東邦レオ株式会社に社名変更。
経営理念は利他の精神を基本とし、人生の結果は、情熱×能力×考え方によって決まり、考え方の方向がもたらす幸福への影響は重大であると位置づけている。正しい考え方、正しい志を教育啓発し、若いリーダーの育成と支援のため、2013年9月にレオ財団を設立。
<インタビュアー> 藤岡 俊雄氏
1961年 大阪府生まれ京都育ち
2002年 株式会社シーエフエス設立 代表取締役として教育事業を展開
2010年~2016年 450社を対象に私塾代表世話人として、全国経営者、東北・関東・中部・関西・中四国・九州と6ブロックにて塾を開催
2012年 経営実践研究会を創設し会長就任。各地にて勉強会を開催
2014年 公益資本主義推進協議会、理事、副会長に就任、1100社の会員企業を構築する
2016年 同会を2年の任期満了によりアドバイザーとなる
2016年 経営実践研究会実践組織つくりをスタートさせる
2017年 全国日本道連盟、幹事長に就任、その後顧問
2017年 (公財)Social Management Collegeプロデューサー
2018年 いたばし倫理法人会顧問
2018年 一般財団法人日本総合研究所とSSC(サステナブル・ソーシャル・カンパニー)未来創造企業共同研究にて完成
2019年 一般社団法人日本未来企業研究所設立 代表理事に就任 SSC(サステナブル・ソーシャル・カンパニー)未来創造企業を社会に多く輩出していくことを目的としている
現在、経営実践研究会において、経営者やNPOやソーシャルビジネスを行う企業を組織し、社会変革に挑戦している。
また、企業が本業を通じた社会課題解決を行いSSC(サステナブル・ソーシャル・カンパニー)未来創造企業となり、企業の社会化を通じ、持続可能な明るい社会を構築するべく講演会や実践活動を展開している。
座右の銘「人を幸せに導けるのは、人しかいない」