委員会活動
Committee activity
「2040年には896の市町村が消滅する可能性がある」とするレポートを昨年、有識者らでつくる民間研究機関「日本創生会議」の人口減少問題検討分科会が発表した。しかし超少子高齢化の先進事例はすでにある。人口の80%以上が60歳以上、人口1万人に対し新生児は1年で30人以下。それが北海道夕張市だ。現在、一般社団法人夕張再生の会の代表を務める上田博和氏は、もともと神奈川県生まれのよそ者でありながら、自ら夕張市民となり、街の再生に取り組む。そこから見えてきた日本の未来に対して我々は何ができるのか?対岸の火事は決して他人ごとではない。<編集部より>
株式会社シーエフエス 代表取締役 藤岡俊雄氏(以下、藤岡):お忙しいところありがとうございます。まず上田さんの幼少期から現在までを。
一般社団法人夕張再生の会 代表 上田博和(以下、上田):ありがとうございます。私は3人きょうだいの一番下なんですけど、早くから兄がグレてしまって、その流れで私もグレるはめになりまして、暴走族のようなことをやっている若者でした。高校を卒業して、3~4年勤めた清掃会社から独立するかたちで起業しました。
藤岡:その上田さんは今、「夕張(北海道夕張市)再生の会」の会長をされているわけですが、どんな経緯があったのですか?
上田:もともと私は小田原(神奈川県小田原市)出身で、27歳の時、小田原青年会議所(JC)という団体に入りました。そこで多くの先輩方に経営のことなど多くを学びました。特に他者のために生きると必ず自分に還ってくるという「利他」の考え方を徹底的に教えて頂きました。それ以来「個より公」というのが、今も私の背骨になっています。
藤岡:それ以前にも阪神大震災の時、利他の精神を実感する体験をされたそうですね。
上田:はい、当時私は24歳でした。事務所の電話が鳴って、ある大手スーパーから「ポートアイランドの店が浸水しているので、すぐ来てもらえないか」という話で、泊まるところはあるけれども、いつ終わるかもわからない、いくら払ってもらえるのかもわからない、食事は一食だけは保証するから、というような状況でした。
上田:でもその晩、近所の暴走族のような連中を十数人集めて、神戸に入りました。それから半年間いろいろなお仕事をさせて頂きました。半年間で頂いたお金は本当に微々たるものだったのですが、戻ったら、その会社からファックスで工事の仕事がどんどん入って来るようになりました。普段はファックスで仕事の依頼が来るような会社ではないのにです。ああ、誰かのために何かをやれば、最後は本当に還ってくるんだなあと実感しました。
藤岡:なるほど。そしてJCを卒業後もそのまま様々な活動をされているわけですね。
上田:JCは40歳で卒業なんですが、現役の間、私は会員を増やすのを非常に得意としておりまして、各地でセミナー講師などをさせて頂きました。そんな中でJCを卒業した翌年、「夕張(青年会議所)が会員2名になって解散するんじゃないか」ということで私に連絡があり、会員を増やすために夕張にでかけました。
藤岡:夕張はいかがでしたか?
上田:最盛期は人口が12万人だった街ですが、一気に減って1万人を切っておりました。市民の80%以上が60歳以上です。「そんな街が本当にあるのか」と思っていましたが、本当に若い方が誰もいなくて、市民みんなが諦めているわけですね。私の話を聞いても「どうせムリだ」という閉塞感の中からのスタートでした。
藤岡:小田原の上田さんが夕張の再生に取り組むということに、地元の皆さんの反応は?
上田:JCの先輩には怒られましたし、今でも非常に厳しいことを言われます。住所も夕張に移してしまったので、さすがに皆さん諦めてくれているのかなと。ただ、必ずやり遂げることが、今まで教えて頂いた先輩方への恩返しだと思っているので、どこまでを再生と言うのかはわかりませんが、何しろ今よりは必ず元気にしたいと思っています。
藤岡:その上田さんの覚悟を表すように、この4月から学生になられたとか。
上田:はい。夕張では農家といえばメロン農家、123軒中121軒がメロン農家という街なんです。ですからJA(農業協同組合)の組合長さんなどと話をするのに「農業を知らずして夕張の再生を語るな」ということですね。東京農業大学大学院に一般入試を受けて合格しましたので、しっかり勉強してきます。
藤岡:ご自分が夕張市民となって取り組むということですね。夕張再生のビジョンをお聞かせ下さい。
上田:人口減少で言うと夕張市では、年間で産まれてくる子どもの数が30人いかないんです。人口1万人に対し30人というのはものすごく少ないですし、小学校も10校あったのが1校になっています。5校あった中学校も1校です。たくさんのことをやっていますが、明るく元気に「この夕張に生まれて良かった」と言えるような子どもを作る、一人でも多くの出産ができるような環境を作るのが私の使命かなと思っています。抽象的ですが、ゴールは人口が2万、3万と増えることではなく、今そこに暮らす子どもたちの未来が明るくなる、そんな街にしたいです。
藤岡:素晴らしい。日本の少子高齢化が進む中で、その縮図が夕張にあるような気がします。夕張が再生できれば、日本の未来が開けるのではと思います。ご縁あって一緒に公益資本主義を推進する活動をしていこうということになりましたが、「学生をこの活動に巻き込みたい」という上田さんの想いは?
上田:私たちが夕張の再生に取り組む中で、多くの大学生のボランティアに出会いました。内地から夕張までヒッチハイクで来てくれた方や、道内からもたくさんの学生たちが雪下ろしを手伝ってくれたりしています。当初は夕張でボランティア団体をという考えもあったのですが、2040年には896の市町村が消滅するとする有識者レポートもあったりして、「夕張だけじゃないんじゃないか」と思うようになりました。
そんな気持ちでいろいろな場所で学生たちと話をするうち、素晴らしく意識の高い若者がたくさんいることを知って「日本はまだまだ捨てたもんじゃない」と感じました。もっと大きく全国の地方再生を企画・実行したり、我々企業が資金を集めたりしながら若者が日本を変える、ということができるのではと、団体の立ち上げをやっています。いつの時代も歴史を変えるのは若者です。
藤岡:ぜひ公益資本主義推進協議会と連携して、企業だけでなく学生の力も借りながら、日本を良くしていきたいですね。夕張再生の会がどのように発展し、結果を出していくのかを今後も連載でお伝えしていきたいと思います。
上田:よろしくお願いします。
【在り方Webより 夕張から日本を変える。歴史を変えるのは若者だ 一般社団法人夕張再生の会 代表 上田博和氏】
<プロフィール>上田 博和氏
一般社団法人夕張再生の会
清掃会社 株式会社清王サービスを起業し、(社)小田原青年会議所へ入会後阪神大震災時に「利他」の精神を学ぶ。各地を講演活動するなど活躍をし、卒業後、JC夕張の解散危機を乗り越えるため訪れた夕張に移住。夕張を再生すべく一般社団法人 夕張再生の会立ち上げ、代表を務める。
http://www.yubari-saisei.net
2013年日本JC シニア・クラブ 専務世話人
<インタビュアー>藤岡 俊雄氏
1961年 大阪府生まれ京都育ち
2002年 株式会社シーエフエス設立 代表取締役として教育事業を展開
2010年~2016年 450社を対象に私塾代表世話人として、全国経営者、東北・関東・中部・関西・中四国・九州と6ブロックにて塾を開催
2012年 経営実践研究会を創設し会長就任。各地にて勉強会を開催
2014年 公益資本主義推進協議会、理事、副会長に就任、1100社の会員企業を構築する
2016年 同会を2年の任期満了によりアドバイザーとなる
2016年 経営実践研究会実践組織つくりをスタートさせる
2017年 全国日本道連盟、幹事長に就任、その後顧問
2017年 (公財)Social Management Collegeプロデューサー
2018年 いたばし倫理法人会顧問
2018年 一般財団法人日本総合研究所とSSC(サステナブル・ソーシャル・カンパニー)未来創造企業共同研究にて完成
2019年 一般社団法人日本未来企業研究所設立 代表理事に就任 SSC(サステナブル・ソーシャル・カンパニー)未来創造企業を社会に多く輩出していくことを目的としている
現在、経営実践研究会において、経営者やNPOやソーシャルビジネスを行う企業を組織し、社会変革に挑戦している。
また、企業が本業を通じた社会課題解決を行いSSC(サステナブル・ソーシャル・カンパニー)未来創造企業となり、企業の社会化を通じ、持続可能な明るい社会を構築するべく講演会や実践活動を展開している。
座右の銘「人を幸せに導けるのは、人しかいない」