委員会活動
Committee activity
株式会社越前隊 代表 関 和弘氏(以下、関)
インタビュアー:株式会社CINQ 代表取締役 松下明弘氏(以下、松下)
関:株式会社越前隊代表をさせていただいております、関和弘と申します。 よろしくお願いします。
なぜこの仕事をやったかっていうと、一番は、この仕事する前は、20、21歳から富山県で洋服やセレクトショップを経営していました。
適当に始めたんですけども、そのときは思いなんてなくて、ただ自分がモテればいいとか、有名になれるんじゃないかとか、そんな感じで軽い感じで始めたんです。
でも15年ぐらいやってきて、36歳になり地元に戻ってきた際に、地元のことを一切見てなかった事に気がつきました。
それまではアメリカだったりとか、東京、トレンドとかそういう方がかっこいいと思っていました。
一切地元のことを気にしたこともなかったし、どういう状況かも知ろうともしていませんでした。
あるとき自分の子供が保育園から小学校に上がるタイミングで、1回ラジオ体操に行ってみた時、部落で3人しか子供がいなかったんです。
僕のときは30人ぐらいいて、6年生が前でお手本を見せる状況だったんです。
ちょっと大丈夫なのかと初めて思いました。
地元が気になってきたところに、富山から福井に店を移しました。
地元の同級生は、だいたいメガネとか繊維と漆器、その会社の3代目だったりっていうのが多かったんです。
それで自然とそのままその業界に入って、自分の会社を継いでいました。
久しぶりに飲みながら話したとき、「なんか先がない。。」みたいな話になりました。
皆さんおっしゃったように地域課題を解決するなんてもちろんないですし、ただ今の仕事をどうやって継続維持していくかとか、そういう話しかなかったんです。
このままじゃなんか子供も少なくなるし、伝統産業なんかも衰退していくと思いだしたんです。
そんなときに洋服店を出店していたショッピングモールが民事再生、保証金も返ってこなくなりました。
追い出されてお店もなくなりました。
他に洋服でいい話があり、ありがたいなと思いながら、それやろうと思ってましたけど、そこでちょっと気づいたんですよね。
洋服屋をやってくということは、結局、その僕の想いというか、同じ洋服を扱ってるところを潰してった上で発展していけるってことに気づいたんですよ。
それをしても何も残らないなって思ったんで、僕はもうやめようと思ったんです。
知り合いの社長さんが引き続きやらせてほしいということでその店は任せて、僕はその時から地元のために何かできないことはないかなって考えだしました。
地元の産業のお手伝いじゃないですけど、もともとその仕事をした人と違い、僕みたいに関係ない洋服とか言ってた人は、物事を違うとこから受け止められると思いました。
そういった観点から、もっと何か違う方向で活躍できる場っていうのを作れるんじゃないかなと思って。最初はそれをやろうと思ったんです。
そして最初は漆器で新しい製品を作ってもらったんですけど。。。
乾かすまでに3ヶ月かかるって言われました。
「暇な間に何か違うことをやってくれよ」、みたいな無茶苦茶なことを地元の方に言われました。
それで“山うに”の作り方をこの辺のおばちゃんから聞いて、ちょっと「山うに」を広げてみようかと、要は漆が乾く間の仕事として始めました。
これが本当のスタートだったんです。
そうしたらそれがだんだん面白くなってきて、これ本当に本当に美味しいですし、誰もやってないんですよね。
これこそ、広めた方がいいんじゃないかなってことにだんだんなってきて、その翌年に法人にしてスタートしました。
<社名の由来>
初めから何のためにするかっていうのだけはきっちり決めてたんですよ。
越前隊という会社名にしたのは、坂本龍馬が大好きだったからです。
勝手にヒーロー像、すごい男っていうのを想像して、それで常に坂本だったらどう考えるかとか、坂本龍馬さんが海援隊を作って、海から日本を支援する組織を結成。
だったら俺は、越前の国から地域を活性化させて、福井から日本支援すると決めたのがこの会社です。
だからそれを社員さんにも常に、理念っていうわけじゃないですけど、会社の進むべき道っていうのは、そういったものとして、今、一歩一歩やっていくように伝えています。
松下:元々“山うに”は売り買いするようなものではありませんよね?
関:そうなんですよ、売り物じゃないんです。
50件ぐらいの集落で、それぞれの家で今年の分作って、多めに出てきたらお裾分けするような、この河和田地区ですら知られていないものでした。
昔は冷蔵庫がないんで、瓶に作っておいて、そこから持ってきて味噌汁とかご飯につけて食べていました。
それが栄養を取れるっていうふうに信じてたんですよね。
おばあちゃんの愛というか、なんかそういうふうに思ってますね。
松下:最初売り出すときは、どのように売り出しましたか?
関:最初はどこ行っても「なんだそれ」名前もよくわかんないし、物もよくわからないと言われました。 これは大変だと思ったんですよ、最初。
洋服を扱っていた時は、あくまでそのブランドが作ったものを仕入れて、それを店頭価格で売る中での利幅を得る商売。 価格を決めるとか、賞味期限を決めるってとうして良いかわからなくて、いろんな人に電話して聞きました。
だから、道の駅へ行ったとき、駅長さん「まずはその辺りを決めてから来い」と言われました。
そうしているうちに、このまま普通にこのまま商品だけ持って行ったら、まず売り上げが立たない事に気づかされました。
そんな時に、子供たちから広めてもらおうっていうアドバイスをもらったんです。 自分は子供の頃は“山うに”が大嫌いでしたから、子供たちに食べてもらうために、まずは“山うに”の歌を作りました。
学校の音楽の時間をいただいて、子供たちから振り付けと歌詞を集めて、単語単語を合わせてメロディを付けて。
それを歌ってたら、福井テレビが拾ってくれて、テツandトモさんを呼んでくれて、それからちょっと広がるようになっていきました。
子供が家でも歌うので。
歌も今YouTubeに上がっています。そういうところからちょっと広めていきました。
もちろん価格とか品質なんかも安定させて、ちょっとずつ広がってきたっていう感じですね。
商品化の際、本当にびっくりしたのは、365日、1年間の賞味期限を設定しようと思ったら、その二、三倍ぐらいの450日ぐらいは検査をしないといけないんです。
実際にその期間商品を検査期間に渡して。
商品ができてから1年半は、検査のために販売できないんです。
それを短縮できるのもあるみたいなんですけども、実際何かあったときの保障にはならないという事で、やっぱり実際その時間きっちり検査した方が確実だという事でした。
そこにかなり時間が取られました。
松下:先ほど畑を見せていただきましたが、農地はどのように借りているのでしょ うか?
関:元々うちは農家ではないので、畑は一切ないんです。 自分のいとこが少しだけ畑を持っていたんですよ。 そこは耕作放棄地でしたが、それを借りて、自分の身長よりも高い草を刈り、開墾 しました。
そうすると近所の方も「うちの畑も使ってくんねか」みたいな流れになって、それ がボンボン集まって、みんなで耕しました。 実際にしたところは1haぐらいなんですけど、使ってくれてるのはその倍ですね。
もっともっと人を集めて、赤なんばだけじゃなくて、鯖江の他の名産品や一般の人 が食べるようなものも作ってもいいのかなとは思っています。 食料危機なんかも言われてるんで。 まだまだ入口なのでこれからなんですけども。
松下:先ほどもさらっと障害者施設で作業してもらってると言っていましたね。 確か社員さんにも耳の不自由な方が居たと記憶していますが。
何か意図して障害者施設に頼もうと思っていたとか、全くないです。 ただ今回お願いした人は、僕より全然仕事ができる人なんです。 耳が聞こえないっていうだけで、別に障害者手帳持ってないんですよ。
あと障害者施設って言ったんですけど、それはたまたま僕の後輩が「この鯖江市内 で障害者施設を作るんで、仕事ください」っていうふうに言ってたので、それでお 願いしただけです。
僕も別に障害者施設に何かをお願いしたという意識は全くなく、これだったらでき ないことはないんじゃないかなってことで、出してみたら全然できたっていうこと なんです。
そこで働いてるが10人いたら10人の中でいろんな障害があるといます。 ある心の病を抱えた方が、出勤したら無言で100均のシールを貼る作業を続けてい たんです。
1日ひたすら作業して、無言で帰っていたそうです。
そんな方が、“山うに”の原材料の加工をやりだしたら、「この作業をしたら、鯖江 が元気になるんやな。」みたいなこと言ってきたそうで、それから日に日に喋るよ うになってきたらしいんです。
最終的には冗談を言ったりだとか、段取りをその人がするようになっていたらしい んですね。
そうしたら、他でもその仕事出して欲しいという依頼が増えてきたので、量を増や しました。
松下:関さんはあまりそういうことを発信してないですね。 そもそも認識していないのでは?自然とやっていますよね?
関: はい。
でもこれは目指すとこでもあるので、それを当たり前のようにやってるのは、なか なかできるもんじゃないですが。
たまたま後輩が施設を始めたとかいうきっかけがあったからで、逆にあっちがくれ たんですよね。
その人がこう言ってやる気が出て、なんか僕もどうせ仕事するなら別にその紹介者 と関係なくて、なんか喜んでやってくれる方がずっと良くて発注しています。 別に健常者だろうが、文句言いながら作業してたら出したくないじゃないですか。 障害者でも喜んで仕事をしてくれるのならもっとお願いしたいなと思うし、そんな 人が1人でも増えてきたら。
たまたまというか、違う、逆に教えてくれたって感じかな。
松下:最後に今後の展望、何かやりたいことや目標はありますか。
関:まずこの地域を活性化させて、そこから日本をちょっとでも支援できればなと。 ちょうど今年からシンガポールとかいろんな国から、“山うに”を出したい(売りた い)という話をいただいてます。
5年前、「5年後にはシンガポールに輸出する」みたいなことを書いていました。
ちょうど5年経って、流れがきました。
日本の良さを海外に広げたい。
開梱作業や“山うに”作りも、観光の一つとして発信していきたいです。
<プロフィール>関 和弘さん
株式会社越前隊 代表
1979年3月4日生まれ
高校卒後、自衛隊に入隊し3年勤務、後に個人でアパレル店を16年経たのち、36歳で現在の越前隊を設立しました。
魚座のB型
インタビュアー
<プロフィール>松下 明弘さん
株式会社CINQ (サンク) 代表取締役
木製什器ブランド FRAME 運営
薪火の見えるレストラン la clarté (ラクラルテ) 広報・プロデュース
レストランウエディング ディレクション(雑用)
岐阜県出身 福井県坂井市在住
学生時代より音響屋を目指し、舞台・TV局でアルバイトを掛け持ち、名古屋市のイベント会社に勤務。バレエ、日本舞踊、シャンソン、ミュージカルなどの音響を担当。2006年、妻の地元である福井県の山村に移住、義父の経営する林業会社に就職する。2012年、会社の先輩と2人で独立、cinqを立ち上げる。