インタビュー|植木力氏【カスタネット】社会貢献を通じて常に社会と共鳴する企業を目指す

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植木力氏【カスタネット】社会貢献を通じて常に社会と共鳴する企業を目指す

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社会貢献を通じて常に社会と共鳴する企業を目指す

植木さん:株式会社カスタネット 代表取締役社長/社会貢献室長 植木力氏
インタビュアー: 株式会社フォーユーカンパニー 代表取締役 宮本宏冶氏

うちの家には貧乏神がいる

株式会社カスタネット 代表取締役社長/社会貢献室長 植木力氏(以下、植木):お荷物になりますけどこの本をどうぞ。

 

株式会社フォーユーカンパニー 代表取締役 宮本宏冶氏(以下、宮本):買おうと思っていたのですけど、いいですか?

 

植木:いいですよ。この本と新聞とCSR報告書、三つ読んでもらえば、全てが一式揃うのです。私は生まれが京都府の宮津市で、家が商売をしているのですが、私の子供時代は高度成長の前でした。ちょうど中学校、高校くらいまでどの家庭も貧乏でしたし、周りも貧乏でした。当時、田中角栄の家の庭に鯉がいるのを見て「お金持ちになりたい!あんな家に住みたい!」と親に言っていました。うちは変わった家庭環境で、例えば、裕福ではないのに毎晩のように地域の人が相談に来て、食事に来て、風呂に入っていました。母と父が呼んでいたのです。また、再婚した私のおじいさんは、地域の歴史を研究する郷土史家として全く商売をせず昔のことを調べて、神社に自分の石碑を作ったりしていました。さらに、おばあさんもすごくて、おそらく日本で最初の社会起業家だったと思います。と言うのも、その頃私の村は京都市内からすると、織物関係の裕福な家庭の保養施設でした。夏は海水浴場で賑わうけど、冬はやっぱり真っ暗な状態でした。そこで、おばあさんがそれを何とかしようとして、女性が中心となって旅館組合と一緒に温泉掘りをしました。まだ昭和20年後半30年前後の頃です。そこまで女性の地位が高くない時代に、傍振って温泉掘ろう!と。すごいのは、まだ温泉が湧いてもいないのに、老人たちが集まれる憩いの場を作ろうと建設していたのです。あの頃はみんなまだ若く、老人がいないのに老人の集まる場所を作ろうと頑張っていました。結果としては、温泉自体が冷泉で事業に失敗したため、当時は畑もたくさん売ったようでした。

おじいさん、おばあさん、両親はなぜか自分達のことの前に社会のために何かをしていました。だから、私は小さい頃から『うちの家には貧乏神がいる』と言っていました。なので、私は儲けて‘田中角栄’みたいな鯉が泳いでいるような家に住みたいと思っていました。とはいえ、やっぱり親は苦労しているので、学校を出たら公務員か大企業へ行こうと思いました。それで、うちの兄弟はみんな公務員、そして私も航空自衛官という道を選びました。
ただ、やはり何か違うと思いました。やっぱり“血”なのですね。その後、大日本スクリーンという会社に転職したのですが、やっぱり変わっていたせいか、空気が合いませんでした。それで、16年前ちょうど社内ベンチャー制度ができたので、そちらに応募したのです。ベンチャー制度自体がまだ作られている最中の募集でしたので、中途半端な制度しかなかったのです。私は「退職型を考えている。退職して会社を興したい」と。当時、割増退職金制度は無く、通常の退職金でスクリーンが入っている子会社のビルに入らせてもらいました。ところが、入った日から日割り計算で家賃を取られました。さらに、その一年後に会社が傾いたため早期退職制度ができました。私の同期は二年分の割り増し退職金をもらっていて、私もあと一年待ったら二年分の退職金をもらえたという…
そして、その時に家内が病気で亡くなったのです。人生一回きりという気がしていたので、やっぱりチャレンジしてみたいと思いました。大企業で自分がどこの歯車か分からないのではなくて、やはり自分のやりたいことをやりたいと思い、会社を興しました。でも、今でこそ「社会貢献」言っていますけど、会社を興した当初は実は違いました。「儲けたい!」というか。スクリーンの給料は安くはなくトップクラスだったのですが、でもやっぱりそうじゃないと思いました。それで、チャレンジをしてみました。

少しは社会貢献をしてみたいという気持ちはありましたが、ただ、そんな大きな社会貢献をしたいというわけではありませんでした。だから、創業した直後から、カンボジアに学校作ったり、文房具贈ったり、そんなことをやっていました。振り返ると、やはり“血”というか、あぁ、親と同じことをしているな、というのは感じますよね。

しかし、人身売買があった村で、NGO(非政府組織。貧困、飢餓、環境などの世界的な問題に対し、民間の立場から、利益を目的とせずこれらの問題に取り組む団体)などが入り、紙すきのプロジェクトをスタートすることにより、それがなくなった、というような動きも少なからず存在します。そういったプロジェクトをどのようにサポートしていけるのか?というのも、私の仕事の軸になっています。

 

カンボジアとの出会い

宮本:カンボジアの理由は?

 

植木:その自営業の時もスクリーンの時も、商売、営業経験が全然なかったので、会社を興してから初めて営業経験をしました。そのため全く人脈が無かったので、俗にいう異業種交流会を渡り歩いていました。ある大阪の異業種交流会の際、懇親会から来た方がたまたま前に座られました。東京から来た女性の方でした。その出会いが奇跡なんですけど、名刺交換をする前に、向こうから「私はカンボジアに学校を作っているのですが、文房具がないんです。」と言われ、「私文房具を売っている会社なので、メーカーからサンプルが来たら送りますよ。」と約束しました。それがスタートでした。でも、約束をしたもののお酒を飲んでいたので覚えているわけがなく…。
それから丸一年が経って、一期目は赤字、二期目も不振でした。報告書に一つ目は単年度で黒字になる、と。そして二つ目は、なぜか使ってない文房具を集めてカンボジアに送ると書いてあるだけ。そしてお正月が明けて二期目の方針を言いますよね?第一期の決算報告をしに親会社に持って行くと、上下関係が強いので辞めているのにトップから叱られました。

宮本:出資も入っているのですか?

 

植木:ずっと14%は入っています。でも、重要な関係ではないですよね。そう考えると社長と一対一での会話は無かったです。何とかその場を切り抜けて、広報室へ寄ったんです。4~5人の小さなオフィスですが、創業直後に、ベンチャー1号ということで京都新聞や日経新聞に載って、お客さんが増えたんですよ。誰も退職したとは思っていませんでした。みんな「仕入先が協同企業だから取引させてください」と来るわけですよ。だから、もう一回勘違いを起こせないかなと思って、広報室へ行ったのですが、相談したら新しいものじゃないとニュースにならないと言われました。「じゃあ、また考えます」と言ってしぶしぶと部屋から出ようとした時に、出口の女性社員に、「今度文房具集めるので、またもらいに来ます!」といったんです。そうすると、広報室の全員が「それ!それ凄いニュースです!」と言い出して、「まだやっていませんよ。」と答えると、「やる前だからニュースなんです。すぐにニュースリリース書けます!これは間違いなくスクリーンにとって10年に1回のビッグニュースです!」と。その結果、プレス発表をしたらビッグニュースになりました。文房具を売るベンチャー会社が、使っていない文房具を集めてカンボジアに送る、というのは書きやすいテーマですよね。新聞や雑誌、ラジオからテレビカメラまでたくさん来るので、たくさんの文房具が集まるようになりました。もちろん法人からも集まるんですけど、BtoBの商売なのに個人からも山のように集まりました。ところが、開けたらさびたホッチキスやパンチなど、使えないものがたくさんありました。社員に残業してもらったり、ボランティアを募ったりして仕分けをし、使えないものを産業廃棄物としてお金を出して処分しました。でも、毎日集まってくるのです。このままの状態で文房具をカンボジアに送ると向こうで不幸が起きる、とはっと気が付きました。商品ごとに仕分けをして、向こうで配れるように人数を確認して送らないと、これは大変だなと。その時に「倉庫がいる!」と思ったのです。親会社のビルの最上階に使っていない厨房があり、お願いすると貸してもらえることになりました。ただし、ガス管、水道管、水回りの物を撤去したらと言われたので了承したのですが、実際に業者を頼んだら、水回りの撤去費用は結構高くて80万円ほどかかりました。文房具置くために80万円かけて倉庫を作ったのです。
その後もいろいろあったのですが、やっと文房具を集めて、船便で送りました。そして、現地に視察行こうと思い、ホテルと飛行機を予約してから最初に会った方に電話をしたんです。「約束通り送ったので現地へ視察に行ってきます。」と言うと「私も行きますよ。」と。日程を聞かれてと答えると、なんと同じ日でした。その方はカンボジアに4つ学校を作ったことへの勲章をもらう日だったのです。これはもう奇跡ですよね。それで、ホテルを合わせて一緒に学校周りをしました。

勘違いからの始まり

植木:視察の際ある古い学校の前で、通訳を介して「この学校を何とかしたいですよね」とあいさつ程度に言ったことがありました。すると、帰国してからNGOに「いつ学校立てるんですか?」と聞かれたのです。なんと通訳が間違って「この学校は自分が何とかします!」と通訳していたのです!2年目で3000万、6000万の赤字を抱えている時に、どうしようかと思いました。でも、もういいかって。会社が潰れる前に最後に学校作ってしまえ、みたいな感じでした。そして、NGOに行って、無利子無担保でお金を貸してほしいと頼みました。

宮本:NGOからですか?

 

植木:はい、分割で返すからと言って借金して、それで作ったんですよ。ただ、ちょうどその頃から、京都関西中心に顔も名前も知らない人たちがサポーターというか、『どうせ買うなら社会貢献を頑張っている会社のところから買いましょう!』と紹介運動をしてくれる新しい活動が生まれたのです。

 

宮本:それは意図的にしたわけではなく?

 

植木:全く意図せず自然に。顔も名前も知らない人達です。誰かから紹介を受けているけど、それが誰かはわからない。そうするうちに、うちのお客さんから電話があって「新社屋を建てるからオフィス家具のカタログ持ってきてほしい。」と言われました。要は、机と椅子を全部新調したいとのことでした。「何でうちですか?」と聞くと、「どうせどこで買っても同じだし、値段もそう変わらないなら、社会貢献をしているカスタネットから買いたいんですよ。」と言われました。その時の額は3000万円でしたね。
それまでは、社内で社長でありながらも孤独でした。例えば、今日新聞出ます。すると出た新聞をコピーしてお客さんの開拓回りで従業員も一緒に行くのですが、「今日新聞出たんですよ!」と話していると、横にいる従業員の営業マンは冷たい視線でした。また社長の自慢話が始まったという顔をして。ちなみに、新聞は15年間ずっと出ているんですよ。もうとんでもない回数になりました。

 

宮本:すごい

 

植木:ずっと今も続いているんですよ。この間、新聞記者と話したら、出た回数は分からないけど、掲載面積は京都で3本の指に入るのではないか?と言われました、その大きさも京都新聞の1/2ページとか、もうとんでもないですよね。最初のうちは社員は皆、冷たかったのですが、その3000万円の受注が入ったくらいの頃から、今度は社員が営業トークで使い始めたのです。社会貢献がお客さん獲得に繋がる事例が出てきたからでしょうね。やっぱりそういう意味では、需要を作らなければと思いました。その結果、6000万円の借金もそういう倉庫の赤字やその他諸々、3年目に黒字転換して全て返済したのです。

 

宮本:すごい

 

植木:銀行員も皆「え?本当に返したのですか!?」と驚いていました。はい、返したのです。「やった!これで何をして遊ぼう?何をしよう?」と思った瞬間にリーマンショックが起こりました。その時は、電話が鳴らなかったです。売上も何分の一かに落ちて、これではダメだと思いました。ただ、最初にもうどん底を見たでしょう?なので、リーマンショックは全然怖くなかったのです。逆に、チャンスだと思いました。高校生の時に、教科書は読まずに松下幸之助の本ばかり読んでいました。当時は同級生から変人扱いされていましたけどね。そして、その景気が波打った時に、『5年に1回小さな仕組み、10年に1回大きな仕組みがあった方が、従業員にとっても、会社経営にとってもいい』という松下幸之助の言葉を思い出したのです。あ、もうすぐ10年だ、と気付きました。あの言葉を信じようと思いました。それで何をしたかと言うと、12月決算で決算を越したら赤字になるので、黒字決算の間に銀行へ行って、黒字決算なのでお金を貸してほしいと頼み、最大限に借りました。この間返済が終わったのですが、金額にして8000万ほど借りたのです。

10,000部刷ったCSR報告書は在庫がなくなったので増刷の準備をしています

宮本:よく借りましたね(笑)

 

植木:後から分かったのですが、8000万円借りるってすごいことだったらしいです。みんなによく借りられたなと言われました。その後は、そのお金を使って手作業が多かった仕事を全て自動化にしました。それでコンピューターのソフトとハードを全面入れ替えして、自動化の仕組みを作ったんですよ。リーマンショックまでは、パートとアルバイトあわせて15名ほどいました。社員は全員毎日深夜まで残業していたのですが、導入した瞬間に、総じて6名で回せるようになりました。残業も普通20~30時間の間、休日出勤もほぼなくなり、ワークライフバランスが良くなりました。創業2年間とあのリーマンショックの時の3期だけドーンと赤字だったのです。いや、実は去年も赤字だったのですが、それはわざとというか皆で慰安旅行に行こうと、普段いけないような超高級温泉旅館に行ったからです。「社長、お金あるんですか?」と聞かれたから、「銀行から借りたから大丈夫や!」と言って。最初の2年間でどん底を見たから全然怖くなかったです。まだリーマンショックの影響が若干残ったのですが、去年、赤字事業契約で銀行に行って、大きな赤字は先行投資だということで、この1年間防災に関する展示会は全て出店しましたね。それはさておき、結局赤字になってしまって、まだ返さないといけないです。そういうことをまとめたCSR報告書はおかげさまでベストセラーになっているようです。普通の大企業が報告するのに、少ないところで500部、多くても3000部くらいだと思いますが、実はこれは10000部刷りました。今は在庫がもうなくなったので増刷の準備をしています。やっぱり増刷するとなると中身を変えますよね?そうすると、ページ数が増えて印刷が間に合いません。当社はデザイン会社ではないので、印刷以外は全部手作りのため社員が大変なのですよ。

 

宮本:え、社員さんが?

 

植木:はい、イラストレーターで。

 

宮本:イラストレーターでですか?凄く読みやすかったです。

 

植木:やっぱり、皆さん手作り感があっていいと言ってくれています!

 

宮本:それは手作りですからね(笑)

 

植木:このことで分かったんですよ。中小企業の経営者にはCSR報告書を作れないと思っているということが。大企業の報告書はもうある程度読んでも面白くない。だから、動画を見せようと思ったんです。動画は、CSR部署の第二の戦略でした。「絶対注目されるはずだ」、「CSRでウケたのだから、絶対にウケる」と。今度、できれば日本の中小企業であまり会社数も多くはないけれどCSR報告書を作っている会社と、メイクアップをして、イベントをしようかと準備をしています。条件は、中小企業で、外部コンサルに委託していない報告書です。今後自社では、社員で手作りしたものでネットワークを広げていこうと思っています。
すみません、一通りザーッと話しましたけど、CSR業界ではおかげ様で知名度が上がりました。ただ、知名度と業績はなぜ連動しないのか…悲しいなと思いますね(笑)
東京に行っても、どこに行っても出店したブースに社名がありますよね?この間も横浜で出店したら、人がたくさん来られて「これ京都の会社ですよね。ここの会社は植木さんの会社でしたのよね?」と言われて、「はい、私の会社ですよ。」と。また、東京で展示会をしていたら「私の会社も出展したいから話を聞かせて欲しい」と言って、展示会場に来られたりする人も多いです。メディアで紹介されている媒体は新聞だけではないんですよ。今私の手元にもあるのですが、この『物を売るバカ』という本やそれ以外にも5-6冊ほどに当社のことが紹介されています。『物を売るバカ』は約80000部とけっこうベストセラーで、第四章で当社の特集をしているので、基本どこに行っても「『物を売るバカ』を読みましたよ!」とか言ってもらえるんです。

 

宮本:大きい宣伝効果ですよね!

 

植木:本当にその通りです。他にも、戦略としてクッキーを売っているんですよ。

 

宮本:あの寄附型の?

 

植木:実は、このクッキーは創業直後から考えていたのです。これを販売したのが2006年か2007年頃です。京都にはたくさんの観光客が来るから、持って帰るお土産を提供したら知名度が上がると考えました。箱で売るのではなくて、バラになるものにして、いろいろ配れるように考えたのです。実は、そこに仕掛けがあるのですが、クッキーがかわいらしいから食べないんですよ。それが狙いなんです。私としては、お菓子を売って宣伝、つまりお金をもらって宣伝をしているのです。これは、京都の観光雑誌に紹介されたりもしました。今錦市場で売ってもらっているのですが、この商品は全て手作りです。手作りはやはりパートのおばちゃんが向いています。これも早く動画にしたいですね。

 

宮本:自社で作っているんですか?

 

植木:クッキー屋さんで作っています。パッケージは障害者施設でしてもらっているんですよ。その収益は障害者スポーツを応援したりしています。新聞や本、またクッキーとかいろんな戦略が活きています!

本当の意味での防災用品<マルチポンチョ>の発売

宮本:防災用品も積極的にやられていますよね?

 

植木:はい、いろいろあります!今回はポンチョを作りました。あらゆる非常用の商品を見ていて、災害の時あまり使われていないということがわかったのです。無駄なものはいっぱいあるが、逆にプライバシーを守るものが無かったんですよね。このポンチョは2015年9月1日に発売しました。
熊本地震が起こった時に、現地で6000枚配布しました。
実際、1泊2日で熊本の現地の避難所に行って、街を二日間歩いて、出会う人全員を呼び止め、「すみません、最初に何に困りましたか?」という質問を100人以上にしました。最後は警察官まで呼び止めて、「何に困っていましたか?」と逆に職務質問をしたりして。その時に言われてびっくりしたのですが、ほぼ9割以上の人が、一番困ったのは、【水】、水は飲み水と、トイレの水、二番目は【トイレ】、三番目は【プライバシー】についてでした。
仮設トイレが立つまでにやっぱり早くても二日ほどかかります。それまでが、どれだけ困るか。3.11東日本大震災の時にも、トイレが最も困ったと聞きました。まだ田舎だからいいけど、京都、東京、大阪で震災の際はどこで‘用をたす’のでしょうか?
それを解決してくれるのが、やっぱりマルチポンチョでした!「これどうですか?」と被災地の方に聞くと、「全然問題ありません!プライバシーがあって、普通の袋より全然いいですよ!」と。避難所でもマルチポンチョを使ってもらいました。着替え、体拭きの際はもちろんですが、食べ物の配給で1時間待ちという際に、なんとそこに並ばれていた方全員がうちのポンチョを被っていたらしいのです。
現地の方からは「非常に助かりました!」と皆さんに言って頂きました。更によかったのは、「避難所で女性が洗濯物を干すのに困っていました。ただこのポンチョがあれば下着を干しても外から見えない!」と大好評でした。そして車の中で寝泊まりしている方からは、「内側に新聞紙を張っているんですが、社内が見えたら不安だし、明るくて眠れないから、ここでもポンチョが活躍しました!」との声を頂きました。マルチポンチョには色々な使い方があるんだということを発見し、こういうものこそ本当の防災用品だと実感しました!

 

植木:現在の問題点は、行政の進めている防災用品をそのまま企業やら個人にも揃えてもらうということだと思います。固定観念を抜きにして、本当に現場で何が必要なのか?をしっかりと理解する必要があると感じています。

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<プロフィール植木 力氏

株式会社カスタネット 代表取締役社長・社会貢献室長
防災ソムリエ 1958年京都府宮津市生まれ。
京都府立峰山高等学校卒業後、航空自衛隊に入隊。1982年大日本スクリーン製造㈱に転職。工場の購買(資材調達)、開発本部管理課長などの管理系の仕事に従事する。2001年社内ベンチャー制度によりオフィス用品販売会社㈱カスタネットを創業。ベンチャー企業としては、日本初の社会貢献室長となり、カンボジアに小学校寄贈、障がい者施設へ優先発注など、社会貢献とビジネスが融合する姿(ソーシャルビジネス)を追い求めている。東日本大震災の被災地に足を運ぶ中で得られた経験から、防災用品に特化した事業『そなえる.com』を全国に展開中

一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(全国組織)常務理事
一般社団法人京都ソーシャルビジネス・ネットワーク 代表理事

著書
『事業の神様に好かれる法17カ条』(かんぽう)
『小さな企業のソーシャルビジネス』(文理閣・共著)

インタビュアー宮本 宏治氏

株式会社フォーユーカンパニー 代表取締役
1972年生まれ
大阪工業大学卒業
小学2年生~大学まで野球部に所属
株式会社ビルディング企画で営業・人事・経営企画・支店長を歴任
2012年株式会社エヌエスイーエデュケーション代表取締役に就任
2014年株式会社フォーユーカンパニー設立 代表取締役就任

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