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本名 善兵衛氏【柏屋】柏屋のポケットは 社会みんなのもの

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柏屋のポケットは 社会みんなのもの

今回のゲストは、薄皮饅頭で知られる福島県郡山市「柏屋」五代目の本名 善兵衛氏。本名家として450年以上、「柏屋」として160年以上の伝統を受け継ぐ同社の薄皮饅頭は、素材にこだわり、上品な甘さ。和菓子業界で「日本三大まんじゅう」と称される逸品である。
「柏屋」本店のショーウィンドウには毎月一篇、子供の詩が飾られる。1958年、子どもたちから募集した詩を展示し、児童詩誌「青い窓」を創刊。現在まで休むことなく刊行されている。「青い窓」に代表される、老舗を支えてきた社会的取り組みは、書籍「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司著・あさ出版刊)にも取り上げられた。
同社WEBサイトにもある「おかあさんのポケットは かぞくみんなのもの 私たちの会社のポケットは 社会みんなのもの」。「柏屋」の歴史に脈々と流れる、その思いとは。<編集部より>

味と技だけにとどまらず、受け継がれる伝統

有限会社アップライジング 代表取締役 齋藤幸一(以下、斎藤):まずは、「柏屋」さんの歴史からお聞かせください。

 

株式会社柏屋 代表取締役 本名善兵衛(以下、本名):当社は、今年(2016年)の7月1日で165周年を迎えます。

 

齋藤:165周年ですか!すごいですね!
創業当時から、この薄皮饅頭だったのですか?

 

本名:そうですね。お菓子屋になる前は旅館をやっていました。お店の前の通りが奥州街道という街道筋で、そこは郡山の宿場町だったんです。
ですから、旅館の前を行き交う旅人のために、饅頭を作ることから始まったんだろう、と言われています。それが嘉永5年(1852年)、「黒船」が来る前の年です。それ以来、ずっと薄皮まんじゅうを作らせていただいています。

 

齋藤:5代目でいらっしゃるそうですが、これまで順調に来られたのですか?

 

本名:経営の危機は幾度も訪れました。
饅頭屋としては5代目なんですが、本名家としては20代目です。

一番最初は武士で、医者をしていたこともあれば、先ほどお話しした旅館、それで最後が饅頭屋。
饅頭屋で5代目の間に「応仁の乱」もあれば、第二次世界大戦やオイルショック、リーマンショックもあれば、水害、東日本大震災と危機だらけです。

 

齋藤:東日本大震災では、風評被害もあったのでしょうか。

 

本名:あったというよりも、あまりにもありすぎて、今でも本当に頭が痛いことですね。
実際、福島県全体が今も風評被害を受けているような状態です。特に会津地区は震災の影響もなく、放射能も全くないのですが、それでも観光バス、観光客はゼロになってしまい、やっと少しずつ戻ってきた感じですね。海に近ければ近いほど、被害は大きい。
特に私どもの饅頭は、観光に来られたお客様に多く買っていただいていたものですから、まともに影響を受けています。

 

齋藤:なるほど。東日本大震災の影響で売上が下がってしまい、生産も減らさざるを得ない状況で、従業員の方々はどうされたのですか?

 

本名:2つあります。
1つは、県外に行かれた方もいて、戻ってこない方ももちろんいらっしゃいました。
もう1つは、これまで柏屋の歴史の中で経験のなかった、55歳以上の方に対し、希望退職募集に関するお願いをしたことがありました。もちろんパートタイム従業員としての再雇用はするという話ですが、これは非常に辛い思いをさせてしまいました。
一人一人には申し訳ないことですが、会社がなくなると全社員が路頭に迷う、と言うことで、結果的には苦渋の判断をせざるを得ませんでした。

 

齋藤:会社の業績が上向けば、再雇用してくれるだろうと、従業員の方も理解してくださったのではないでしょうか。

 

本名:思い出すだけで本当に申し訳ないと思える出来事でしたが、皆さんにお願いをして、どなたも異論を挟むことなく「分かりました」と了承いただきました。
全員の方が今に至るまで働いていただき、あの緊急事態を何とか乗り越えることができました。

 

齋藤:そのあたりが、貴社が「日本で一番大切にしたい会社」の書籍掲載にもつながったのでしょうか?

 

本名:つながっているのか、私は分かりません。社員を守ることができなかった訳ですし、何とも言えません。

 

齋藤:それは事業の存続を考えると仕方がないことであって、従業員の方々が理解してくださるからこその関係性が出来上がっているのでしょう。「経営が安定したから戻ってきてほしい」とお願いした時には、戻ってきてくださる。それが「本当にいい会社だな」と思います。

 

本名:格好良く「全員雇用しました」って言いたいところではあるのですが、なかなか難しいことですね。売上がゼロになった時の恐怖は非常に大きくて、工場も商品を作れないですし、物流もできないし、ガソリンもなくて、材料も入らない。
仮にそれらが入っても、福島のものは「NO」と拒絶されることもありましたから、自分の力だけではどうにもいかないと言いますか、本当に難しい局面でした。

「おはよう」「行ってきます」元気な挨拶が参加資格の「朝茶会」

齋藤:先ほど私たちも参加させていただきました「朝茶会」のお話を聞かせてください。
私たちは午前5時40分ぐらいに来ましたが、すでに100人以上の方が列を作っておられて、とても驚きました。

 

本名:そうですね、今日は、午前5時10分か15分ぐらいには、最初の方が並び始めていましたね。

 

齋藤:待っている皆さんも、ものすごく楽しそうで、ワクワク感が伝わってきました。列を案内している方も楽しそうで、入る前からすごく楽しい気分になりました。
お店に入ったら入ったで、新入社員の女性の方でしょうか、ニコニコ笑顔でお茶を汲みに来てくれるなど、本当によい雰囲気でした。

 

本名:ありがとうございます。

 

齋藤:この朝茶会ですが、饅頭やお餅など、すべてが無料で提供されています。
このようなことをおやりになりたいと思われたのは、いつ頃のことなのでしょうか。

 

本名:実は「朝茶」という習慣ですが、昔からこの福島、郡山にあったものです。
一昔前は「縁側」がどの家にもあって、縁側でおばあちゃんが漬物とお茶をいただきながら、世間話をしていました。あれが朝茶、縁側文化です。
実はこの地は工場だった時代があって、当時は工場と売店が併設していました。そこでは朝一番で作ったお饅頭を神様に捧げて、「今日もおいしく作ります」と、通勤・通学する方々にお出ししていました。そのまま召し上がっていただいて、お茶飲んで、元気で行ってらっしゃいって言う習慣が、そもそもの始まりです。

これは40年以上やっています。4代目だった私の父が朝、自分の友人を集めてお茶を飲んで、お饅頭を食べていまして、最初のうちは焼きおにぎりや枝豆、トウモロコシなども出していました。最初は10人ぐらいから始まったのが、人数がどんどん増えてしまって。

さすがに今はおにぎりとかをそう言ったことまではできませんから、薄皮饅頭と季節のお菓子にさせていただいています。

 

齋藤:なるほど。2時間の間に300~400人以上ですからね。

 

本名:本当にありがたいことです。

「店のウィンドウを子どもの夢で飾ろう」という提案から生まれた「青い窓」

齋藤:さて、続いて「青い窓」の活動についてお聞きします。すごい活動で感動しています。詳しく教えていただけますでしょうか?

 

本名:「青は澄み切った遠くの青い空、窓は思いを伝える心の窓」と、心が空に向かっていくようにという願いを込めて「青い窓」という名前にしました。1958年、私がまだ可愛かった3歳の頃に始まったもので、駅前の本店、あそこが元々の発祥です。
このお母さんと子どもが2人、左側に可愛い子がいますよね。これが私です。これは私と弟なんですけどね。「詩はとても素敵なんだ」ということから始まったんです。その当時は、詩は子供なんかに書けるはずがない、と思われていました。しかし、子どもの詩は感じたことをそのまま伝えることで、逆に大人には絶対書けない素晴らしいものを持っています。

実は郡山は「東北のシカゴ」なんて言われていて、当時、大変荒んだ町だったんです。
私の父と友人たちが「子どもが産まれて、この子たちが大きくなる時に、荒んだ町ではなく夢が持てる町にしたいね」と言うことから始まったのです。
子どもの詩を募集して、それをお店のショーウィンドウからお菓子を引っ込めて詩をパネルにして掲載し、町行く人たちに読んでいただき、子どもの詩の素晴らしさを伝えたいと発案したのです。
私の父はその当時専務で、当時の社長(私の祖父)に「こういうことがやりたいから、ウィンドウ貸してくれ!」と直談判しました。
ウィンドウってある意味売上ですよね、商品を並べるのが常識でしたが、社長は「やってもいいが、やるからには絶対辞めるな」「それができるんだったら、やりなさい」と言われたそうです。

 

齋藤:それからずっと続けているのですね。

本名:始める経緯もあって、もう辞める訳にはいかないですよね。
「青い窓」を私の父と一緒に興した詩人の佐藤浩先生(故人)が、子どもに対する言葉をたくさん残しているのですが、人間って肩書きじゃないですよね。どんなに偉い社長さんでも、例えば退職したら誰も寄り付かないとか。ところがそんな肩書きもないけども、いつもみんなその人の周りに、温かくいる。どちらが本当の人間の素晴らしさなんだろうかっていうことで、子どもってすごいんだよ、って。

「みんなが生徒だから、みんなが先生」と言うことで、子どもがね、あるものを何かハッと見つけたその発見の力、発見した何かの感動って大人だって感動できる。大人が気がつかないことをちゃんと見つけ出してくれる子どもと言うのはすごい。
よく先生から言われていたのは「子どもは、大人になる過程の一段階ではないんだ」。言葉を多く知らないだけで、立派な人間としての感性を持ってる。逆に大人になればなるほど、その感性をいろんな雑音でふさいでしまう。だから、「人間としての素晴らしさは子どもの方がすごいんだよ」と言っていました。

 

斎藤:いいものはいいと言って、悪いものは悪いって言えるのが子供であって、変な大人になっちゃうと、いいものを「よくない」と言ってみたり、よくないものを「いい」って言ってみたりしますからね。

 

本名:はい。「青い窓」は今年で58年続いています。辞める訳にはいかないですね。

 

斎藤:毎月、ウインドウに掲載する詩は、どなたが選考されているのですか?

 

本名:佐藤先生が亡くなる直前まで、投稿された原稿を読んでいた女性スタッフがいます。来た詩を先生にずっと読んで聞かせて、先生と「ああ、これいいですな」と言うやり取りをしていました。
先生の考えていた「詩を選ぶポイント」みたいなものを彼女は十分に知っていますから、現在は同人代表として、彼女にほぼ一任する形で選考をしています。
表紙にする詩だけは、私に「どちらが相応しいですか」と相談してもらうようにして、私も選考に関わらせていただいてます。

 

斎藤:この「青い窓」に掲載された子どもたちは、とても嬉しいのでしょうね。

 

本名:嬉しいでしょうね。60年近くやっていますから、最初に投稿された方々はもう70歳、80歳です。仮に小学校1年生だったとしても、60年経てば67歳ですからね。

ですから、現在はその方のお孫さんが投稿していることになります。三代に渡って。

 

斎藤:「子どもの頃、青い窓に載ってたんだよ」とか。子どもさん、お孫さんだって、「じゃあ、ちょっと私も書いてみようかな」みたいに考えますもんね。

本名:ここに来ると全部バックナンバーが揃っていますから、前に自分が何年の何月に載ったって言えば、索引できるようになってます。やっぱりそう言った方も時々来られますよ。

 

斎藤:何十年前の作品を掘り起こせるなんて、すごい活動ですね。小学生から中学生が対象ですか?

 

本名:いや、まだ詩を作れない小さな子どもたちには「あのね」と言う口頭詩があります。
幼児の言葉なんですけど、例えば「この水たまりにおっきなクジラが住んでるんだよ」とか言ったのを、お母さんが書き留めて出してくれる方もおられます。

 

斎藤:そう言ったこともできるんですね。

 

本名:そっちの方が感動的ですよ。

例えばこの「大変」ってね、「作ってる雪だるまが溶けて崩れてしまった」って。最後にはね、「怪我してる、直してあげなきゃ」と、その発想。すごいですよね、この「心の感受性」。今でも不思議だって言ってますよ。

 

斎藤:作った雪だるまが溶けて崩れてしまった。自分で作っているから、それが怪我してる、直してあげなくちゃ、ですか。

 

本名:そう。親御さんや幼稚園、保育園の先生が、周囲の情景に対して子どもがこう言ったって感じで書き留めて、投稿してもらえれば。これは、人間の一番基本的な最高の感性ですよね。

 

斎藤:まさに、利他の心(利他とは人に利益となるように図ること、自分のことよりも他人の幸福を願うこと)ですね。

朝茶会は地域の人々の出会いの場 「楽しく過ごしてまた来月」

斎藤:5代目の本名さんご自身や、4代目でいらっしゃったお父様は、この青い窓の活動が広がっていったらいいなとは思うけれど、積極的にアピールする訳じゃなくて、じわじわ広がっていけばいいという感じなのでしょうか?

 

本名:いや、広がることが目的ではないので、賛同した方がやりたいって言われるならどうぞと言うだけで、「青い窓」そのものを大きくしたり、広報したりっていうことは何にもしてないんです、実は。

 

斎藤:朝茶会も同じですか?

 

本名:朝茶会も別に広報は何もしてないんですけど、結局お客さんがお客さんを呼んで、来ていただいてるっていうことですかね。
広報してあんまり来られても、実際入り切れませんし、どうしようもないですから。

 

斎藤:来てくれた人に本当に楽しんでもらいたいっていうのがあって、来てくれた人たちが悲しい思いするぐらいだったら、そんなに大きく展開したくはないというお考えでしょうか?

 

本名:やる必要もないですね。目的は大きくすることじゃなくて、継続です。
要するに、あくまでも「縁側」の延長線上なんです。
例えば今時、アパートの隣の部屋にどんな人が住んでいるかも分からないような中で、一人暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんたちもおられます。でも、あそこに行けば、いつもの顔に会える。
皆さんは今日は5人で来られて5人で同じ席に座られた訳ですが、このような関係だと分かっていたら、わざと座席をバラバラにするんです。

極端に言うと、お一人お一人に地元の方と交流してくださいということで、最初から取材依頼があった時は、割とそのようにお願いしています。そうすると地元の人と直接出会うとか、孤独を感じているとか、どこから、どうして来るのかとか、そう言った話に発展するじゃないですか。ですから、ここはある意味では「出会いの場」なんです。

齋藤:それでも結構、子どもさんと話させてもらったり、地域の皆さんと、待ってる時間にかなりお話をすることができました。
私たちが待ってる時に、紹介してくださった方いらっしゃいましたよね。とても楽しい思いをさせてもらいました。

 

本名:いつもお願いをするのは、「初めて」の方がいらっしゃる場合、常連さんがいるところの空いてる席にわざと連れていって、「この方は今日初めてなんだって、お願いね。この人は常連でね、皆勤賞だから教えてあげてね」ということです。 そう言うと、今まで何度も来ていた人は得意になってお話しするし、初めて来た人も孤独を感じなくて済むしということで、わざとそのように組み合わせをしたり、少しだけ意地悪して、女子高生と男子高生をわざと組み合わせたり、私があの場所にいるからこそできる、密かな楽しみでもあるんですよ。

齋藤:それは、コミュニケーション不足と言われる中学生、高校生なんかにはものすごく新鮮でいいやり方ですよね。

本名:嫌でもね、同席相席になりますからね。

齋藤:最初のところで言ってますもんね。「同席とかがありますから」と前もって言ってあれば、本当に同席だ、ドキドキっていうのもありますからね、楽しみの一つですね。

本名:聞いていてお分かりいただけたかもしれないのですが、「すみません、同席相席お願いします」って言うと、「はいはい」って皆さん快く言っていただけます。
全員、これは市長と言えど皆並んでいただきます。誰も特別扱いはしません。市長もちゃんと分かっていて、ずっと並んでくれていますけど。

齋藤:その方がいいですよね。逆に、人のありがたみが分かります。

本名:そうですね。市長が面白いのは、市長になる前から一人で来て並んでたから、市長になっても、「市長、並ばなきゃダメよ」って。

齋藤:「柏屋」が本当に地域に愛されている会社なんだと肌で感じました。
本日は貴重なお時間をありがとうございました。

【在り方Webより 本名 善兵衛氏【柏屋】柏屋のポケットは 社会みんなのもの

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<プロフィール本名 善兵衛氏

株式会社柏屋 代表取締役社長 五代目 本名善兵衛(幹司)
1955年2月14日、福島県郡山市生まれ。
福島県立安積高等学校から、東京農業大学短期大学へ進学。
中学、高校、大学とブラスバンド、オーケストラ、フォークバンド、ロックバンドと一時は音楽の世界に行きたいと思うも、お菓子の魅力には勝てずに、1977年 株式会社柏屋 入社。
1986年 代表取締役 就任。
2012年 五代目 本名善兵衛 襲名。
薄皮饅頭がふくしま名物から日本三大まんじゅうへ、そして日本のまんじゅう文化を未来へと継承し、日本が誇る文化のひとつとして、世界に認められることをめざして奮闘中。

インタビュア齋藤 幸一 氏

有限会社アップライジング 代表取締役
1975年11月14日、栃木県宇都宮市生まれ。作新学院高校英進部から法政大学経営学部へ進学。高校、大学時代にはボクシング部のキャプテンを務めた。
プロボクサーとなるが24歳で引退後、2006年、有限会社アップライジングを設立。
現在、代表取締役社長に就任し、世界中のタイヤ関係者が修行に来る中古タイヤ屋さんをめざして、新たな世界を極めようと日々奮闘している。