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中川暢三氏 新たな発想で行財政改革や自治体再生を

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新たな発想で行財政改革や自治体再生を

松下政経塾で、志と覚悟を自得し、幸之助翁が唱えた観光立国論や無税国家(無税都市)構想などを学んだことが、自治体経営者としての原点になった、と兵庫県加西市長(2期)、大阪市北区長などを務めた中川ちょうぞう氏は語る。
中川氏は鹿島建設の社員から、出身地である加西市長に転身し、大胆な行財政改革を実行。全国の注目を集め、その後は大阪市北区長に就任し、民間の発想を取り入れたまちづくりに取り組んだ。「政党政治にとらわれない、政策本位の政治をめざす」 今でも変わらないその思いを聞く。<編集部より>

松下幸之助翁から贈られた「君は宮本武蔵になれ」の教え

株式会社シーエフエス 代表取締役 藤岡俊雄(以下、藤岡):中川さんは兵庫県の加西市長を2期務められた後、2012年から2014年までは大阪市北区長をされていました。
その前は鹿島建設に長らく勤められたそうですが、そのあたりの経緯をお聞かせください。

 

前兵庫県加西市長・前大阪市北区長 中川暢三氏(以下、中川):私は高校まで郷里の兵庫県加西市で過ごし、信州大学経済学部を経て鹿島(鹿島建設株式会社)に就職しました。
大学ではトップクラスの学業成績を残したつもりでしたが、鹿島という大企業に入社し、大組織の中で、さまざまな分野の実に優秀な人材と協働する中で、より広い視野で実践的な勉強をしなければと感じるようになりました。

偶然にも、未来のリーダーを育成する「松下政経塾」が第一期生を募集していたので応募したところ、松下幸之助翁の最終面接を経て入塾することが認められました。
私は政治家になるというより、「経営の神様」に直接、薫陶(くんとう:人徳や品格のある人物から影響を受け、人格が磨き上げられること)を受け、人間の幅を広めたいと思い、松下政経塾に入塾しました。

2年後、鹿島に復帰しましたが、日本商工会議所の会頭も務めた石川六郎社長(当時)などに目をかけていただき、経営トップの近くで、民間の大規模都市開発などを長らく担当しました。
私は広報や民間投資の分野で経営トップの近くにおりましたので、歴代総理をはじめ多くの国会議員や地方議員などと間近に接する機会があり、知事・市長・区長など自治体トップの見識や、政治の旧弊(きゅうへい古い習慣・制度などの弊害)を日々感じていました。

 

藤岡:松下政経塾では、どのようなことを学ばれましたか。

 

中川:松下政経塾は、大学や大学院のような研究教育機関ではありません。「自ら学び取ること」を基本姿勢とされました。
松下幸之助翁の哲学など、政経塾で教わったことはいろいろありますが、一つだけ挙げるとすれば、志と覚悟を自得(じとく:自分の努力によって理解すること)したことが大きいです。(自主自立)
そして今振り返れば、政経塾の中で学んだことよりも政経塾の外で人から教わったこと、政経塾を起点に、それ以降の人生の歩み方や考え方が大きく決定づけられたと思います。
大局を見つつも小局から着手できる人材となること、高い理想は掲げつつも地道な活動と目立たぬ努力ができる人間となること、知力よりも人間力が大事であることなどを学びました。

お陰様で、志を立て成功するまで続ける忍耐力と粘り強さと、自ら学び取る姿勢は誰にも負けない自負があります。
正しい志をもって一所懸命に為せば道は必ず開ける。(素志完徹)
周囲の人も自然も全てが師匠で、学ぶ姿勢があればどんなことでも自分の糧にできる。(万事研修)
そんな人間に時間をかけて成長してきたように思います。

 

藤岡:松下幸之助さんは、塾生に何を期待したのでしょうか。

 

中川:幸之助翁が私たち塾生に期待したことは、既成概念にとらわれず、絶えず新たな価値を創造していく先駆者となることだったと思います。
歴史の扉を開くことのできる、革新的な保守の政治家や各界のリーダーを輩出させたかったはずです。
自分が社会で何を為すべきか、自己の使命(ミッション)を知り、「悟りを啓いた者、志を立てた者、自分の進むべき道を自覚した者から順番に塾を巣立って、実社会に出て活躍してほしい」と幸之助翁から訓話がありました。

当時の私は、政治家になるつもりはなく、経営の神様の片鱗に触れ、経営者として大成することを夢見ていたので、政経塾は2年間で十分でした。「人間力を高めよ、現場を大事にせよ、成功するまで続けよ」などは幸之助翁から直接教わったことです。
また、幸之助翁からは、「中川君には宮本武蔵になれる素養がある。他流試合を重ね、本物の“剣豪”となって、一流一派を形成しなさい」との言葉もいただきました。狭い世界に留まらず常に視野を広め、他流試合をして技を磨けということです。
幸之助翁が唱えた観光立国論や無税国家(無税都市)構想などは今の時代にも十分通用し、自治体経営者としての私の原点になっています。

既成政党や既存政治家にはない、新たな発想を

藤岡:ビジネスマンを辞めて、政治家、それも首長(市長や知事)をめざされるのは、なぜですか。

 

中川:一言で表現すると、「決められない政治」「結果を出せない政治」の当事者たる既成政党や既存政治家へのアンチテーゼ(ある主張に対してそれを否定する内容の主張)です。
納税者や有権者としての率直な思いを広く国民・市民に発信するとともに、民間ビジネスマンとして感じてきた政策アイデアを提案することで、選ぶ側と選ばれる側、双方の選挙スタイルを変えようとしてきました。

年度ごとに経営計画を立て、少なくとも四半期ごとの進捗状況や成果を検証しながら「経営」するのは民間では当たり前です。そのマネジメントが政治や行政には致命的に欠落しています。
言いっぱなし、やりっぱなしで事後の検証がないのでは、「PDCAサイクル」(業務プロセスの管理手法の一つで、計画<plan>→実行<do>→評価<check>→改善<act>という4段階の活動を繰り返し行い、継続的にプロセスを改善していく手法)も回りません。
私たちは「経営の神様」から学んだのです。その幸之助翁が、「政治は経営だ」とまで力説していたのだから、行財政の効率化と財政再建を進めつつ、将来的には無税都市(無税国家)への道程を実践していくのが私の使命だと思っています。

「先ず隗(かい)より始めよ」(大事業をするには、まず身近なことから始めよ。 また、物事は言い出した者から始めよという意味の故事成語)で、気づいた者が立ち上がり実践することです。
本気でやれば、必ず改革できるということを私はぜひとも実証したかったし、これからも挑戦していきます。
私は、現在、多くの政治家に欠けているものは、言うべきことを主張し、言ったことは強い信念と使命感をもってやり通すという強力なリーダーシップだと思っています。

母親の介護問題で感じた政治参加の必要性

藤岡:ビジネスの世界から政界に参入する契機は、どのようなことだったのですか。

 

中川:政経塾から鹿島に復帰して以降も、政界では政治とカネの問題など、スキャンダルが頻発していました。またバブル経済が崩壊して、日本の国富が外国に流出し、経済が危機的なのに政治は相変わらずだらしないままでした。
加えて、首相が1年前後、大臣は半年程度で交代していく日本政治では、外国からまともに相手にされません。

政経塾で修業したからこそ、鹿島に戻っても企業人として20年間ハードに働くことができました。かつ、大型ビルなど各種インフラの整備に計画段階から携わることで、5~30年という長いタイムスパンで物事を考える習慣が身に付きました。
当時私は、何十億円、何百億円という金額の仕事をしていましたが、それをはるかに超えた国家財政の累積赤字を見るにつけ、それを放置しておけない気持ちが強くなっていました。

ところが、時を同じくして、若い頃から何一つ病気をしなかった私の母が、父を亡くして以降、急速に身体が衰え、在宅介護をすることになりました。
当時は介護に対する東京都区の支援制度が十分整備されていない状況で、いざ一市民が介護で困っていても、必要な時に必要なサービスをタイムリーに提供されません。行政や政治の無責任さを痛感しました。
まじめに働き、税金をたくさん納めているだけでは、政治や行政はよくならないのだと悟りました。市民・納税者として声を上げ、活動することが必要だと感じたのです。

典型的な役所仕事に接し、私はここで初めて、自らの問題として政治を考え、アクションを起こさなければ社会は変わらないと悟った訳です。それは38~39歳の頃でした。

学校の授業では、憲法や民主主義や自治を教わりながら、自らその当事者として政治に参画することを、私たちは戦後長らく身に着けていません。
民主主義が正しく機能するには、「賢い市民」となることが不可欠です。
納税するだけではなく、税金の使われ方や政治に関心を持ち、政治参加しなければなりません。
政治が悪いと文句を言う前に、まずは投票に行き、政策本位でよい政治家を選ぶようにしよう。しがらみのない候補者を支え、優れた政治家を育てるのは有権者の責務です。

国政選挙に在職立候補 発想の転換によって政治に革新を

藤岡:その後、どのような展開になったのですか。

中川:私は政治家志望ではなかったので、本格的な政策提言活動は45歳になってからです。
40歳前に本社の課長になり、仕事がますます忙しく責任も重くなってくると、日本の政治を何とかしなければと思いつつも、社業を最優先せざるを得ませんでした。

43歳の年に、大学時代の友人が長野県で衆院選に立候補するというので、私は半年ほど休暇を取って選挙を手伝いたいと会社に申し出ましたが、会社は組織ぐるみ選挙と誤解されたくないので、私の申し出を認めてくれませんでした。それならと私は退職することにしました。
私は鹿島に新卒入社して松下政経塾に入るために退職し、友人の国政選挙を手伝うために再び退職しました。二度も自己都合退職した私ですが、有り難いことに、その都度鹿島は拾い上げてくれるのです。

大規模開発は地図にも歴史にも残るビッグプロジェクトであり、男として本当にやりがいのある仕事です。仕事を通して同僚やお客様との信頼関係も深まります。そのような恵まれた環境にあって仕事も充実した46歳(本社次長)の時、私は経営トップの許可を得た上で、会社在職のまま2週間の休暇を取り、参議院選挙東京都選挙区から立候補しました。

定数4人に全政党が候補者を立てる中、私が15番目の候補者として、無所属でたった一人立ち上がりました。
お金を掛けず、と言っても供託金を含めて400万円ほどはすべて自己資金でした。
元より落選は覚悟の上ですが、大手上場企業の部長前の管理職が休暇を取って国政選挙に在職立候補した初めてのケースとして大きく報じられました。

藤岡:なぜそのような、無謀とも言えることをされたのですか。

中川:私にとって、理想の選挙スタイルを実践できたので、それ自身は満足でした。
政党・企業・団体の支援も政治献金も受けず、自らの信念と個別具体的な「マニフェスト」(政党などが発表する「具体的な公約」)を掲げた手作り選挙を初めて実行できたのです。
現職の会社員でも、勤務先を退職することなく立候補できるという突破口を開きました。

当時は政党による候補者の公募制度はなく、「マニフェスト」という言葉すら使われておらず、数年経って民主党がようやく「マニフェスト」という文言を使い始めました。
政策も信念もない者が、他人の金をあてにして選挙に出て是が非でも当選しようとするから選挙違反が横行し、政治のレベルを下げているのだという思いが私にはあります。
社会経験も積んで、自ら働いて納税した苦労なども分かってこそ、よい政治ができるのです。

一方、政経塾の同期や後輩はとっくに国会議員や地方議員として再選を重ね、政経塾をまるで選挙に当選するためだけの手段として利用されているとも言うべき状況でした。
これは幸之助翁がめざされたことではない。既成政党に所属し、圧力団体の支援を受けて当選しても肝心の改革ができません。エスカレータに乗って政治権力を握ることを幸之助翁が私たち塾生に期待したでしょうか。
少なくとも結果を出して世の中を良くすること、そして発想の転換によって政治に革新(イノベーション)を起こし、国家と財政を立て直せる政治を期待されていたはずです。

将来にツケを回さない自治体運営で関西を元気に

藤岡:加西市長としては、どのような成果を残されましたか。

 

中川:私は政治家というより自治体経営者(シティマネージャー)を自認しています。
「子どもにツケを回さない」をモットーに、民間の発想と経営手法を取り入れ、効率的で質の高いサービスを提供できる市役所に変身させました。同時に、次代を見据えた成長戦略を進めました。
地味で目立たず魅力と情報発信力に欠けた従前の加西市を、全国的に発信できる輝くまちに変えたと自負しています。

市長就任時、年間市税収入の約11年分の実質累積債務がありましたが、私は増税によらず実質5年間で33%を削減することができました。
そして将来の税収増・雇用増に繋がる分野に投資し、規制緩和+即断即決+生産性向上を図りました。
産業団地への企業誘致は23社、その他パナソニック、イオンSCなど大型施設の誘致にも成功しました。
水道コンセッション(高速道路、空港、上下水道などの料金徴収を伴う公共施設などについて、施設の所有権を発注者である公的機関に残したまま、運営権を民間事業者に売却すること)、市役所業務包括民間委託などにも全国初でチャレンジしました。

大阪市で橋下前市長が幹部職員を公募しましたが、加西市では大阪市よりも5年早く、私が市長時代に導入しました。
公会計(国や地方自治体など公共部門を対象とする会計)も大阪市より5年早く導入しました。
公民連携(PPP:行政と民間事業者が協働で住民サービスの向上や事業効率のアップ、地域経済の活性化などに取り組むこと)は全国に先駆けて取り組みました。

前例がなく一見難しいと思われる事業にも、チャレンジしやり遂げる。これは政経塾で学び、鹿島で鍛えられた私の現場哲学です。
行政の常識を変え、不可能を可能にし、行政のイノベーションを進められるのは、私が根っからの政治家ではないからです。
新しい行政モデルを実践し、公の役に立つことに生き甲斐を感じます。
それらの業績が認められたのでしょう、私個人に東久邇宮(ひがしくにのみや)文化褒賞をいただきました。

 

藤岡:加西市長としては相当な実績があったのに、三選できなかったのはなぜですか。

 

中川:三期目の市長選は、まさかの落選となりました。
これは、私の実績や三期目の政策以前に、改革に抵抗する反対勢力や既得権者(議員、自治労、職員組合、職員OB、地域のボス、建設業者など)による組織選挙に対し、非組織・無党派で政策本位という私の選挙スタイルが通用しなかったものです。

中田宏 前横浜市長の言葉を借りれば、私も「殺された政治家」の一人です。自治労(全日本自治団体労働組合)・職員組合・守旧派議員・既得権者などに総がかりで引きずり降ろされた格好です。
市議選と市長選が同一選挙となり、反対陣営は市長選と市議選をリンクさせて戦いましたが、後援会も政党の支持もない無所属の私は、市議候補の選挙動向に引っ張られました。
相当な実績を上げたのに相手陣営が流したデマ・誹謗中傷に惑わされ、事実とデータに基づいて市民に正しい判断をしてもらえなかったのは本当に残念でした。3.11大震災対応や新年度予算編成に追われ、選挙準備活動できなかったことも挙げられます。
何より、投票を頼まれたからと地域のシガラミに流れて無責任投票してしまう有権者のレベルが問題です。
土着の選挙、ムラ型のしがらみ選挙が現実としてまだまだ残っています。

 

藤岡:大阪市北区長時代は、どのような活動をしましたか。

 

中川:私が導入し、他区ではやっていなかったことを挙げれば、
感性豊かな外部委員による北区プロデュース委員会を立ち上げたこと、
学生や現職議員らも参加できるインターンシップ制度を創設したこと、
公会計を真っ先に試験導入したこと、
壁面緑化事業ややESCO(エスコ)事業(省エネルギーを企業活動として行う事業)で公民連携のプロポーザル事業を導入したこと、
教育特区を申請して北区に通信制高校を誘致したこと、
シェアサイクル事業(街中にいくつもの自転車貸出拠点を設置し、利用者がどこでも貸出・返却できる新しい交通手段)の社会実験を始めたこと、
なにわの伝統野菜(天満菜)の復活などです。

各局や教育委員会などに権限・予算・人員が集中しており、大阪市北区内だけで年間市税収入1,000億円が上がっているのに、北区で実際に使える予算13.8億円でした。これでは加西市長の30分の1の仕事しかできません。
本気で改革の実績を上げるためには、選挙で選ばれた市長(首長)になるしかありません。

 

藤岡:2015年の大阪市長選に出馬しましたね。大阪市長になってやりたかったことは?

 

中川:実は、2003年の大阪市長選にも出馬しましたよ。市役所OB候補、共産党候補に次いで、無名の私が3番目の得票でした。
その時に掲げた政策は、今まさに時代が要請しています。12年前の大阪市長選での提言は、その後、加西市で実践しました。その実績やノウハウを、大阪そして関西のために提供したかったのです。
資産流動化、水道事業統合、窓口業務民間委託、公営企業民営化。議員半減、職員数3割減、給与2割減、民間人登用などは、大阪市長選で私が訴えてきたことであり、多くは加西市で2期実践してきたことです。
大阪を再生して関西を元気にしよう、大阪には大きなポテンシャルがある、それを活かさない非効率な大阪市は関西の「がん」になりかねません。

例えば、
コンパクトで環境に優しいスマートシティ→環境負荷と市民負担の少ない自治体運営
日本初、市役所業務の包括民間委託→今より3割少ない総人件費で市役所の効率運営
水道事業のコンセッション→経営の効率化によって維持管理費や更新費を生み出し、市民に追加負担を求めないことなどです。

 

藤岡:上下水道やごみ焼却事業などは官の独占事業ですよね。
中川さんは、そこで何を訴えたかったのですか。

 

中川:大阪都よりも本来は道州制をめざすべきだし、府から市町村への権限・税源移譲が先で、それは現行制度でも可能です。
世界でも有数の税金の安い、美しく快適でコンパクトな都市にして、環境エネルギーや都市緑化・景観面でもセンスの良い街にすることです。
自動運転技術を先駆的に導入し、高齢者のお出かけや買い物や通院を容易にします。

「どうせ勝てないから立候補もしない」では選挙の意味がない

藤岡:いつもどんな方法で選挙を戦っておられるのですか。お金はどうしているのですか。

 

中川:無所属・無党派の立場から既成政党では考えつかないような独自の政策を掲げ、いかなる組織の支援も受けず、しがらみのない立場で、自己の蓄えだけでお金も掛けず、後援会組織もないまま、私は純粋な使命感で戦っています。
私は政策提言活動を通し、有権者の意識改革運動を続けているのです。
お金もかけず、大きな選挙(長野県知事選、大阪市長選)に打って出ました。これを、候補当選する見込みが極めて薄い泡沫(ほうまつ)候補者と揶揄(やゆ)された時期もありますが、そのような不利な選挙を政策本位で戦い抜く気迫を示し、確たる政策やビジョンを語ることで、私の支持者・理解者は増えたと思っています。

会社を辞めて14年。その間、長野県知事選で脱ダムの田中康夫氏らと論争、大阪市長選には二度出馬もし、加西市長二期を含め、通算で8年余り公職に就いてました。
大阪市民は269万人いますが、市長選に無所属で二度も出馬したのは私だけではないでしょうか。
当選すれば当然にしっかりと公約を実現しますし、それができる知恵と能力は備えているつもりです。
当落は結果であって、どうせ勝てないから立候補もしないのでは選挙の意味がありません。

異なる有効な選択肢を示して有権者に考えてもらうのが選挙です。たとえ自分が当選できなくとも、そういう考え方で活動していることや具体的政策を示し、次世代の手本となることが大事なのです。
自ら政策を煮詰め、演説し討論し、たった一人でも戦い抜くことで私には自信がついたし、選挙を通して自らの政見や政策をさらに磨くことができました。

日本の政治の「非常識」を変えることが使命

藤岡:元々は日本最大のスーパーゼネコンで民間の大規模開発などを仕掛けていたエリート社員が、なぜ会社を辞めてまで、無所属・無党派で、徒手空拳(としゅくうけん: 資金・地位など頼るものがなく、自分の身一つであること)の政策提言を続けてきたのですか。

 

中川:防衛問題、憲法問題、領土問題、経済対策など国際的に見ても重要課題が山積しているのに、政治が機能しないことへの憤り。
失われた10年、納税者・企業人として政治への不甲斐なさが原点にあります。
口先ばかりで結果を出せない既成政党の既存政治家、いい加減にしろという気持ち。
約束を守らず、何の結果も出せないプロの政党政治家へのアンチテーゼです。
そんな政治家を選んできた日本の政治風土を変えなければという思いからでした。

政経塾の同期・後輩の多くは既に政治家になっていましたが、既成政党の政治の枠内でしか動けていない。
そこで、良識ある政治のアウトサイダーとして、日本の政治の「非常識」を変えることが私の使命だと感じました。
高い税金を払っているのに行政サービスは最悪、民間ならそんな会社はとっくに倒産です。政策がなくビジョンも語れない者、解決策を考えられない者がよく政治家になれるなあ。

私は選挙で、政策とともに、いつも有権者の意識改革と政治参加を呼びかけています。政治が悪いと文句を言う前に先ず投票に行き、政策本位で良い政治家を選ぼうと。
選挙は、有権者が政策を考え、政治をチェックする絶好の機会です。当落よりもいかなる政策が戦わされたか、有権者がどれほど深く考えたかが大事なのです。

選挙制度の問題点を明らかにし、有権者の意識改革を促す

藤岡:現在は、どんな活動をされているのですか。

 

中川:「疾風に勁草を知る」(しっぷうにけいそうをしる、王覇伝)という言葉があります。困難に遭ってはじめてその人の本当の価値、本当の強さが分かる、内に秘めた意志や信念の強さが分かるという意味で、私の今の心情です。

創造的で付加価値の高い仕事(改革やイノベーション)をできないなら公募区長の意味なしとして、2年前、橋下市長(当時)の失職出直し選挙に合わせて私も大阪市役所を退職しました。
言動に制約を受ける一般職公務員を辞めて自由な立場になったので、大阪市役所の形式主義・前例主義・減点主義・官尊民卑・現場軽視・タテ割り組織の問題点を明らかにしながら、解決策(ソリューション)を示しています。

この間、定職に就かずに自由に活動しています。幸いサラリーマン時代の蓄えをベースに、自主独立で政策提言活動を続けることができています。大学などでスポット的に講義・講演したり、企業の顧問として経営相談に応じていますが、基本は自由に活動できる環境を最優先しています。

私の研究テーマは、公会計、公共資産マネジメント、公民連携(PPP)、ICTやビッグデータ・オープンデータを活用した行政現場の生産性とサービスの向上によって市民満足度を高めることです。行政の制度改正なども含めた社会の新たな仕組みづくり、ハードとソフトの両面でのインフラやプラットフォームを創るのが私のライフワークです。

昨年の大阪市長選では、都構想に固執して大きな政治対立と停滞を招くより、今できる改革を着実に進めるのが先決として、都構想の是非とは次元の異なる個別具体的な政策提言をしました。
有権者の多くは「維新=都構想」を選びましたが、選挙の時には気づいてもらえなかった私の政策や区長時代から提唱してきたことなどを、改めて検証しながら色々な機会に発表しています。

関西の中心・大阪は、新しい情報を収集したり人的ネットワークを広げるには最適の場所です。
人は生涯学び続けることが大事です。学ばなくなったら成長も進歩も止まり、人生が終わります。

 

藤岡:今後は、何をめざされていますか。

 

中川:道程は今なお遠いですが、私は歩いていきます。
私の道程が遠いのは、それは私に与えられた宿命だからと思っています。大きな山に登ろうとしている訳ですから、すそ野が大きい分、道程が遠いのは当たり前です。
既成政党や既存政治家に対するアンチテーゼが私の出発点ですから、選挙当選のために政党に擦り寄るなんぞ私にはできません。

私は、政策論争がなく盛り上がらない選挙に討って出て、お金をかけずに政策本位選挙をすることを続けています。
それは一義的には私の選挙ですが、有権者・市民のため、そして日本の民主主義を育てるためと思って立候補しています。
有権者の意識改革運動、選挙制度の改革運動も同時にやっているのです。自分のための選挙であれば、私はとっくに止めています。なぜなら、私は基本的には選挙が好きではないし、私が政治家になりたいのでもなく、今の日本を放置しておけないからです。

日頃、無所属の一市民が政策を訴えてもほとんど誰も耳を貸しません。多くの人は、選挙や投票という具体的な機会でしか、政治を振り返りません。
だからこそ私は、かつては「泡沫」とか「選挙マニア」とか謗りを受けつつも、選挙を政策提言の場にして活動してきました。
組織に頼らず金をかけずに政策本位選挙を実践することで有権者の気付きを促し、日本の民主主義や自治力・市民力を高める。そして、当選の暁にはきっちりと結果を出す。
そういう信頼性の高い政治を日本で実現・実践することが私のライフワークです。

私は政策を考え、有権者に語り掛け、市民と意見交換することは好きですが、選挙に立候補することは、本当は大嫌いなのです。
今の選挙制度では費用と時間の無駄で、金銭面だけでなく候補者個人の負担が大き過ぎます。
行政や政治の悪しき常識を変え、社会の仕組みを変える。
政策やアジェンダ(実施すべき重要な政治課題・政策)で連携する。
利害や利権や感情で繋がらず正論を語り、ブレない政治家の姿を国民に発信する。
社会の仕組みづくりと行政の制度改正など、将来を見据えて文字通りインフラを創っていくのが私のライフワークです。

変革は常に辺境から、外延部から起きます。政治のインサイダーには真の改革はできません。
私は有権者に賢くなってもらい、とにかく投票に行ってもらって、市民が主役のまちづくりと自治体運営をしようと言い続けています。市民の政治参加を促す役目が私にはあるのです。
ですから、お金が無くても組織がなくてもハンディなく政策や人物で戦える選挙制度の必要性を、身をもって訴えています。

行政や政治の悪しき常識を変え、社会の仕組みを変えていくことが私の使命です。
今までと同じ行政のトレースで良しとするなら、私が市長である必要は皆無です。そんな創造性のない仕事をするために、市長として社会的な束縛を受けるのは苦痛でしかありません。
私は、最も革新的な保守の政治家であり、自治体経営者であることを自認しています。前例のないことにチャレンジし、不可能を可能にすることこそ私の持ち味なのです。

民間の力を活用し、社会的課題を解決

藤岡:国や府の借金も併せると、大阪市民は一人当たり約1,100万円の公的債務を抱えているとも言われています。そんな財政をどう立て直すつもりですか。

 

中川:昨年の市長選で、大阪市の財政再建に具体的解決策を示したのは私だけでした。多くの政治家は目先の人気しか考えず、問題を先送りして「ばらまき」を続けるばかりです。
「財政再建」と「減税」、そして「成長戦略」。これらは相互に矛盾するものでも、対立するものでもありません。3つとも同時並行で取り組み、推進することが可能です。
私は加西市で成功させたので、それを大阪市でも実証したいのです。いや、大阪市ならもっと飛躍的に活性化できます。

橋下前市長のように、出費(歳出)を切り詰めることだけが財政再建ではありません。それでは縮小均衡に過ぎません。あっちの予算をこっちに持ってくる、市の財源を府の財源にするのは単なる帳尻合わせで、全体の収支はほとんど変わりません。

成長分野や社会が向かうべき新分野にお金を使い、将来の税収増と雇用増に繋げる戦略がポイントです。地域社会や市政の課題を解決しながら、新たなサービス需要や付加価値を創造する「成長戦略」を通して、大阪や日本を元気にすることが可能になります。

例えば、税収を増やす方法を考えてみましょう。歳入が足りないから増税や手数料・公共料金を値上げして歳入を増やすというのは典型的な役所・役人の発想です。寄付などで一部市民に負担してもらう方法もあるでしょう。
しかし、税収不足でも行政運営できるようにスリムかつコンパクトで小さな政府にして、効率化とコスト低減を図ることが根本になければなりません。
そこにこそ政治家の強いリーダーシップが求められています。
市民が要求することを何でも受け入ればら撒いていては、財政支出も役所組織も肥大化する一方です。持続可能な自治体経営を市民に一緒に考えてもらうことが、自治の本質です。

 

藤岡:それ以外で、税収を増やす方法はありますか。

 

中川:まず、容積率などの規制緩和や許認可手続きを簡素化・迅速化することや、投資減税や法人税減税や特区による免税も、税収全体を増やすのに有効です。
また、質の高いおしゃれなまちづくり、センスの良い開発を行って地区全体の資産価値を高めると自ずと税収増になります。つまり、都市価値を高めるというPRE(公的不動産について、公共・公益的な目的を踏まえつつ、財政的視点に立って見直しを行い、不動産投資の効率性を最大限向上させ、行政サービスの効率化を図ること)戦略です。

このような具体的なアイデアとノウハウが私には一杯あるのです。それは不動産の活用など、民間企業の財務戦略をサポートしてきた経験から来ています。
逆に、全体の予算を前年比で何パーセント削減することで支出を減らす方法は単なる一律カットに過ぎません。
例えば、市民特に高齢者の健康増進によって医療費や介護費を減らすことです。そうすれば直接の医療費や介護費だけでなく、そのために要していた職員の人件費を抑えることができるのです。
リサイクルを進め、場合によってはゴミ有料化を実施して排出されるゴミの量を減らせば、ゴミ処理コストと職員人件費を減らせるのです。

民間の力を活用して社会的課題を解決し、社会的費用がかかっていたものを、新たな事業収益を生む仕組みに変えて、民間ビジネスとして永続できる仕組みにすることができるのです。
年間約4兆円の予算を使っている大阪市です。そのわずか1%でも効率化できれば、市民1人当たり1.5万円還元できるのです。借金をこれ以上増やさない決意をすれば、減税は今すぐにも可能なのです。
大阪市有地を25%→15%減らせば、@50万円としても3兆8千億円借金を減らせます。

 

藤岡:行政サービスの効率化について、何か具体的なアイデアがありますか。

 

中川:いつでも、どこでも、どの役所でも証明書などが発行できる仕組みにすれば、居住地だけでなく駅や勤務先でも住民票などが入手可能になります。
そもそも住民票という認証方式に替えて、指紋・顔・虹彩(こうさい:眼球の色がついている部分)・静脈などの複数の最新の認証技術を使えば、住民票という証明書類の発行事務を相当減らせます。

大阪市の場合、手数料200円の住民票を1枚発行するのに1,000円以上要しています。
図書館は1冊貸し出し当たり、やはり1,000円以上かかっています。館内閲覧は現物で行うとしても、貸し出しには電子書籍を使えば図書費は相当抑えることができ、その分、多様な書籍を提供できると考えています。
その他、行政のコストダウン、納税・徴税コストの低減など色々な取り組みができます。要は、トップや幹部職員がそういう観点から役所業務を再構築できるか、気づきがあるか、部下からのボトムアップを誘導できるかに掛かっているのです。

吉村市長と松井知事が、本来の市長職務・知事職務にもっと専念・注力すれば、相当のことができ、短期間で大きな成果を上げられるはずです。市民本位で考えれば、とても政党活動や他都市の選挙応援などしている時間はないはずです。
経験が足りず、現場や経営を知らない政治家には、国家経営や自治体経営はできません。マネジメント力やガバナンス(組織や社会に関与するメンバーが主体的に関与を行う、意思決定、合意形成のシステム)に欠け、彼らが役人に依存している限り、構造改革は期待できません。

役所業務の中で公務員にしかできない業務(公権力の行使)はせいぜい3割弱です。それ以外の多くのサービスは民間でも担えるものです。同じサービスならより低コストで、同じコストならより良いサービスをめざして日々努力するべきです。民間には事業再生やサービス向上のノウハウとアイデアがたくさんあります。

 

藤岡:そのような考え方はどこで身につけたのですか。

 

中川:民間の発想と合理的な経営手法で行政にイノベーションを起こすことや、公共サービス改革や行財政改革に関する私の独自の発想は、資産流動化や不動産活用や建設プロジェクトなど、豊かな民間経験があるからこそ描けるスキームなのです。

日本の地方自治は長年総務省をはじめ中央省庁や都道府県の指導や指示に依存してきましたが、もっと海外の成功事例に学んだり、民間企業の優れた技術やプラットフォームを活用したり、他の自治体の取り組みを参考にするべきです。
今や行政境を超えて市民や企業は活動している時代です。自治体が行政境の内側だけで自己完結する発想は捨てるべきです。
自治体合併によらず、それぞれの自治体は残したまま、合併以上の良い効果をもたらすアライアンス(提携)の方法はあります。

都構想によって府と市の「線引き」を変えることよりも、あるいは府と市の二重行政の無駄よりも実は府・市それぞれ単独のムダの方が遥かに大きいのです。制度を変えることよりも、各行政現場の生産性を上げることの方が遥かに重要なのです。
昨年の大阪市長選で行政の経験がある候補者、そして相応の民間経験がある候補者は私だけでした。
現場を知り、経営を知っている私だからこその政策をこれからも提唱していきます。

「行政の常識を変える」をライフワークに

藤岡:なぜ、政治改革が進まないのでしょうか。

 

中川:簡単明白です。改革できる政治家、改革を本気でやろうという政治家を市民が選んでいないからです。自治の当事者である市民、選挙の主役である有権者が、普段から政治や選挙にきっちりとコミットしない結果でもあります。
日本の政治が相も変わらず低次元で改革が進まないのは、有権者が投票に行かず、投票してもいい加減な政治家を選び、その働きぶりを有権者がチェックしなかった結果、市民不在の政治が続いてきたからです。有権者が各候補者の政策をチェックし、結果を出せる有能な政治家をしっかりと選ばなければ、いつまでたっても政治はよくなりません。

昨年、橋下市長が出直し市長選のため任期途中で失職するのに合わせ、私も大阪市役所を退職しました。私が退職したのは何か不祥事や能力不足で辞職になったものではありません。万一、処分や更迭(こうてつ)など私への不利益処分であれば、本人に弁明の機会が与えられるものです。
公務員の身分では政治的発言が禁止され、行動も何かと制約されるため、自由な立場で政策提言や政治活動をしたかったのが主な理由です。だからこそ、その後も市長選に立候補するなど、大阪市内で鋭意活動しているのです。

大阪に限らず、政治の貧困と行政の非効率が全国各地の停滞を深刻にしています。
大阪が長年抱えてきた政治や行政の諸問題。その本質は、市民による自治が機能していないこと、言い換えれば、自治体の基盤である市民自治が脆弱(ぜいじゃく)で、有権者の積極的な政治参加がないことに由来します。
市民の積極的な政治参加によってしか、政治や自治体経営は正すことができないのです。

世の中の多くの政治家は、選挙と政局には強くとも、政策がなく構想力も実行力もない議員が圧倒的に多いのが現状です。
政界の古い常識に凝り固まった議員では、仮に当選しても改革できません。節操のない離合集散と政党看板の付け替えを繰り返すのが関の山です。

 

藤岡:行政の悪しき常識とはどんなことですか。それをどう変えるのですか。

 

中川:私のライフワークは行政の常識を変えることです。
財政が厳しいと、人員や人件費を削減することだけが目的化しがちで、大阪市はその典型でした。事業の見直しもせず、生産性を高める努力もせず、仕事の仕方を工夫できないのは役所の常識に凝り固まっているからです。

行政サービスの本質は何でしょうか。例えば水道事業。安全でおいしい水を安定的に低コストで提供することです。必ずしも自治体の直営でなくとも民間の水道事業でも良いのだし、スタッフは外部人材でもいいのです。
公共施設はどうでしょうか。役所が必ずしも施設を保有する必要はないし、運営をすべて公務員で行う必要もありません。要は、公的なサービスが良好に行われることが必要なのです。
総合的なアセット・マネジメント(公共資産の運用)によって官の資産を流動化し、役所の所有から活用・利用に変えるのです。民に移せば固定資産税は入るし、管理費は不要、しかも管理のための職員も減らせます。
行政の目的は、資産を持つことではなく、良質なサービスを提供することです。

私は、もっとも革新的な保守政治家の一人だと自負しています。政治家というよりも自治体経営者です。
前例のないことにチャレンジし、不可能を可能にしてやり遂げる姿勢は、ビジネスマンの時に培われたものです。政治の世界に民間の発想を持ち込み、合理的な経営手法で行政のイノベーションを進めるのが私の使命です。

私が尊敬する人物は、昭和天皇、伊能忠敬、坂本龍馬、松下幸之助、土光敏夫です。自由な発想で大局を観ること。
自分のことは後回し、国・公・市民益を優先する教育・躾を受けたことが大きいです。判断に迷うことがあれば、市民にとってプラスか、市の将来のためになるか、私心なきやで最終判断を下してきました。これを価値判断の基準、政治判断の根拠とすれば間違いありません。

 

藤岡:選挙制度をどう変えるべきだと考えていますか。

 

中川:既成政党は、利権や既得権益の集団と言っても過言ではありません。政策がないのに利害だけで結びついている政治家集団は、選挙を前にいつも離合集散を繰り返します。
真の競争原理が働かず、政党など選ばれる側の都合で決められた日本の選挙制度はやはり問題です。

既成政党・既存政治家に有利な選挙制度であること、お金がかかる、組織を動員しなければ勝てない選挙制度であることが、まともな良識人の新規参入を阻んでいるのです。
政策よりも選挙にお金をかけ、人を動員して個別訪問を繰り返すことが当選の近道ですが、それを許している公職選挙法は改められるべきです。
それをするのにお金がかかり、既成政党は政党助成金政治献金をそれに使えますが、それができない無所属の候補者は最初から当選圏外に置かれてしまいます。

多くの政党政治家は、選挙や政局は強くても政策や実行力がなくビジョンも語れない。何としてもやり遂げるという強い使命感にも欠けます。これは私と全く逆パターンです。(笑)
インターネットやICT(IT=情報技術に通信コミュニケーションの重要性を加味した言葉)を活用すれば、お金を掛けずに政策本位選挙ができるのです。
サラリーマンや無所属候補が不利にならない選挙制度に変えなければなりません。
例えば、一度首相になった議員は首相退任と同時に議員を辞めて国会の新陳代謝を図る。
議員定数半減して一院制にする。
首相公選制やインターネット選挙を開始する。
政党助成金や企業・団体の政治献金を廃止する。
落選しても一定得票数を得た者は本人希望すれば任期付公務員になれる制度を創設する。
議員定年を設け、同一選挙区で議員または首長を通算して25年以上できない制度に変えれば新陳代謝が図れる。
選挙の公費助成を止め、3年程度の所得控除を認めれば、公費助成の申請や収支報告の手間が省け、選管事務の合理化ができる。
ポスターは各候補者が別々に貼るのではなく、選管で一括して貼る。掲示板も投票所だけに限定する。
10年以上働き、5年以上納税実績のある者が立候補できる制度にする。
このような改革をすれば、お金をかけず、サラリーマンでもハンディなく戦える選挙制度となる。

投票に行けば10,000円商品券、または投票者減税にすればインセンティブ(人の意欲を引き出すために、外部から与える刺激)が働く。
5年以上税金滞納者には選挙権を与えない。
投票に行かなかった人には、何らかのペナルティを課すことも考えられる。
自治体ごとの投票率・納税率に合わせて地方交付税を多くする。

【在り方Webより 中川暢三氏 新たな発想で行財政改革や自治体再生を

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<プロフィール中川 暢三氏

1955(昭和30)年11月30日、兵庫県加西市生まれ。兵庫県立北条高校、信州大学経済学部卒業。
鹿島建設株式会社に入社後、松下政経塾(1期生)を経て2年後に鹿島に復帰、民間都市開発などに従事。同期生には、逢沢一郎氏、小野晋也氏、野田佳彦氏、鈴木康友氏などがいる。
前 加西市長(2期)、元 大阪市北区長。
現在、一般社団法人 兵庫総合研究所 政策顧問
早稲田大学 ブリックサービス研究所 招聘(しょうへい)研究員
東洋大学PPP研究センター 客員研究員
日本税制改革協議会 シニアフェロー
プラチナ都市構想ネットワーク 特別会員

インタビュア藤岡 俊雄氏

1961年 大阪府生まれ
2002年 株式会社シーエフエス設立 代表取締役として教育事業を展開
2010年~2016年 450社を対象に私塾代表世話人として、全国経営者、東北・関東・中部・関西・中四国・九州と6ブロックにて塾を開催
2012年 経営実践研究会を創設し理事長就任。各地にて勉強会を開催
2014年 公益資本主義推進協議会、理事、副会長に就任、1100社の会員企業を構築する
2016年 2年の任期満了によりアドバイザーとなる
2016年 経営実践研究会組織つくりをスタートさせる
2017年 全国日本道連盟、幹事長に就任
2017年 (公財)Social Management Collegeプロデューサー
現在、経営実践研究会において、経営者やNPOやソーシャルビジネスを行う企業を組織し、社会変革に挑戦している。
また、企業が本業を通じた社会貢献を行いサスティナブル・カンパニーとなり、企業の社会化を通じ、持続可能な明るい社会を構築するべく講演会や実践活動を展開している。
座右の銘「人を幸せに導けるのは、人しかいない」