インタビュー|大塚訓平氏【アクセシブル・ラボ 】栃木県をアクセシブル先進県に

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大塚訓平氏【アクセシブル・ラボ 】栃木県をアクセシブル先進県に

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栃木県をアクセシブル先進県に

【対談】NPO法人アクセシブル・ラボ 代表 株式会社オーリアル 代表取締役 大塚訓平氏

× 有限会社アップライジング 代表取締役 齋藤幸一氏

サッカー少年から営業マンに

アップライジング 代表取締役 齋藤幸一(以下、齋藤):生い立ちを教えてください。

 

NPO法人アクセシブル・ラボ 代表 株式会社オーリアル 代表取締役 大塚訓平(以下、大塚):小さいころは、サッカーなど運動が大好きでした。幼稚園から兄と体操教室に入っていましたし、小学3年生からサッカーを始め、選抜に選ばれたこともありました。
中学校では、転校をきっかけにいじめに遭いました。
サッカー部では1年生からレギュラーを取ることができたのですが、いじめによる原因不明の頭痛により1週間入院し、それを期にサッカーを辞めました。
その後、好きな英語を学びに、スイスへの留学も勧められましたが、逃げずに中学校に残りました。サッカーは辞めましたが、女子の友人がたくさんいて、楽しく過ごせました。

高校は「女性にモテたい」と言う理由から、兄とバンド活動を始めました。
それでも、運動は好きだったので、50m走で5秒台の記録を出したことがあります。
3年生の先輩にサッカー部へ誘われたこともありましたが、「女性にモテるのはバンドだ」と思い、バンドを続けました。

将来の夢は「社長」でした。父親が目標で、追い越したいという野望があったのです。

地元の栃木県立宇都宮清陵高等学校から、拓殖大学に推薦入学しました。大学時代はかなり遊び、バンドや合コンに明け暮れて過ごしました。
引き続き大学院へ進みたかったのですが、父親に反対され就職することに。そこで、就職科の先生に相談したところ、不動産業界に進むことになりました。3社内定をいただいた中で、学生にも対応が良かった、分譲マンションを手がける「扶桑レクセル株式会社」(2009年に株式会社大京に簡易吸収合併)に就職しました。
面接時には、「3~5年後に起業したいので辞めます。その間は売って売って売りまくります。それでもよければ採用してください」と、条件付きで話しました。それでも雇ってくれたので嬉しかったです。

入社後は初契約がなかなか取れず、父に相談してみたところ、「販売売上トップ5の人たちとお酒を飲みに行って、話を聞け」と言われました。
それからは、同期の友人とではなく、先輩と飲みに行くようになりました。先輩にレクチャーを受けたかったのですが、最も大事な部分は誰も教えてくれませんでした。
しかし、会話を聞いていると、一つ一つの話からたくさんの話が枝分かれして、話の膨らませ方がすごく勉強になりました。

また、父の勧めで、ジャパネットたかた株式会社 前社長の高田 明氏の話も参考にしました。商品を売るのではなく、買った後の暮らしを売ることを学びました。
その後は、5月23日の初契約から毎月契約が続くように。自分で言うのも何ですが、かなり優秀になりました。

 

実家の一室から「オーリアル」を起業

齋藤:お父さんに感謝ですね。それから何年で戻ってきたのですか?

 

大塚:3年で戻ってきました。25歳の時です。

 

齋藤:起業した場所はどんなところからでしたか?

 

大塚:実家の一室からです。パソコンと電話とコピー機だけで、「オーリアル」(不動産業)を立ち上げました。
人脈はありませんでしたが父にも頼らず、「自分のブランドで自分の力で」試したい思いがあったのです。3か月間、売上げはゼロ件でした。

「命があれば、あとはかすり傷」 をモットーに、新しい人生の始まり

大塚:そして2009年6月20日、事故に遭いました。
実は6月19日に、父が以前働いていたハウスメーカーを退社しました。素晴らしいお祝いの次の日、私は事故に遭ってしまうのです。
記憶が全くなく、気付いた時には集中治療室のベッドの上でした。事故後、3日間は意識不明。現在でも、事故の3日前からの記憶はありません。

そして、天から「貴方はまだ生きるべきだ」という意味なのでしょうか?意識が戻りました。
それから3週間後に、脊髄損傷で、一生涯車いすでの生活になることを宣告されたのです。事前に父から「命があれば、あとはかすり傷」という言葉を何度も聞かされていたので、宣告された時にも、すんなりと現実を受け入れられました。
父や母、兄、家族が、ずっと支えてくれました。自分の育った環境がすごく良かったので、乗り越えられたのだと思います。

 

齋藤:どのぐらいで退院できたのですか?

 

大塚:事故後2か月半でリハビリが始まり、リハビリに3か月、合計5ヵ月半で退院しました。一日でも早く、仕事に復帰したかったのが理由です。

本当のバリアフリー住宅を

齋藤:退院して、帰ってきてからはどうされたのですか?

 

大塚:私は読書があまり好きではありませんでしたが、入院中に時間があったので、さまざまな本をたくさん読みました。そして、ビジネスモデルを50件作成しました。
アイデアが、次から次へと浮かんできたのです。足が動かない分、ひらめき力が上がったのだと思います。

仕事復帰後には「車いすユーザーに向けた、本当のバリアフリーの住宅」として、モデルルームで私の住んでいる自宅を一般公開しました。当時、車いす当事者で自宅をモデルルームとして見せる人など、誰もいませんでした。
学生さんたちを対象に、車いす対応の設計のコンペを開催し、優秀作品をモデルルームとして実現させたこともあります。「学校の勉強のみでバリアフリーの家を設計するのではなく、本当に身体の不自由な方たちに合った家を作ってほしい」との意図がありました。学生さんたちは自分に、手すりの位置などを聞いてくれました。すごく良い機会でした。
たくさんの方がモデルルームに足を運んでくださったことで、「この市場は必要だ」と感じることができました。

一方で、「しっかりとした施工会社と組まなくてはいけない」と強く思いました。現在も提携施工会社は1社で、信用できる会社にお願いしています。
トイレや手すりは、0.5cm単位で位置をずらしながら、当事者が一番使いやすい場所を見つけて設計しています。
ヒントを得たのは、「車いす対応」とされている公共施設のトイレです。「なぜこんなところに手すりを付けたのだろう?」と思ったり、「すごく使いづらいな」と思ったりすることがたくさんあったのです。きちんと、コンサルティング業としてやっていきたいという思いがありました。

事業者と当事者の感覚はこれほど違う

齋藤:その思いが、NPO法人「アクセシブル・ラボ」につながっているわけですね?

 

大塚:そうです。それもビジネスモデルの一つでした。
一番やりたかったのは、体の不自由な方たちの不便・不安・不満を聞くことです。多くの意見を聞いて回りました。
その結果、「住環境」と「外出環境」、「就労環境」の3つを整えることが必要だと感じました。
外出環境に関する問題点の一例として、実際にこのようなことがありました。「バリアフリー対応」と書いてある情報誌を見て、その店に行ったところ、実際は段差があったのです。お店の人に聞くと、「店内はバリアフリーだ」と言われました。
この経験から、事業者と当事者の「バリアフリー」の感覚が、全く違うことに気付いたのです。
そこで、障がい者と企業、行政も巻き込んでやっていくために、拡散力が高いNPO法人を立ち上げることになりました。バリアだらけの街中を、直してもらう提言をしていきたいと思っています。

障がい者を納税者に

齋藤:ホームページを拝見しましたが、「アクセシブル・ラボ」の活動はいいですね。バリアフリーかどうかや、スタッフが手助けしてくれる店などが分かりやすく掲載されています。各企業やお店のホームページにそれがあれば、車いすユーザーさんが行きやすくなりますよね。

 

大塚:「アクセシブル・ラボ」WEBサイトには、ユニークな3つの掲載基準があるのです。
「入口の幅が60センチ以上」「エントランス前の段差が5段以下」「車いすユーザーウェルカムです」の心構えを満たすところにだけ、取材に行くようにしています。
車いすユーザーだけではなく、その他の障がいのある方、ベビーカーユーザーやご高齢の方からも「サイトを参考にしている」というお声をいただいています。
小さいお子さんを持つ方でも、お店や他のお客様に迷惑をかけると心配なことがありますから。事前にその店の情報をしっかり見ることができれば、選択肢が広がります。
「情報のアクセシビリティを上げること」が、私たちの役割だと考えています。

 

齋藤:掲載されているお店の数は現在どのくらいですか?

 

大塚:現在は143件(栃木県120件)です。車いすユーザーの方が取材に行き、企業・お店には、賛助会員または寄付をお願いしています。
これは「障がい者を納税者に」を目的とした方法で、取材してくれた方には報酬を出しています。報酬だけでなく、自分の取材がサイトに投稿される嬉しさを感じてもらうことは、就労意欲の向上にもつながると考えています。

 

齋藤:そのアイディアも、入院中に思いついたのですか?

 

大塚:そうです。入院中に自分は本をたくさん読めて、いろいろなことを考える時間ももらえました。よく言うのですが、自分は「ラッキー障がい者」だと思います。

 

齋藤:「ラッキー障がい者」ですか!初めて聞きました!肯定的で、すごくいいですね。

障がい者にも住みやすい街づくりを

齋藤:大塚さん自身、これからはどんなことを考えていますか?

 

大塚:現在、私は全日本空輸株式会社(ANA)様を始め、さまざまな企業・団体様向けに、障がい当事者目線のコンサルティング業務を展開しています。「アクセシブル・ラボ」の取材メンバーたちが、同じように講師として話せるよう、育成していきたいと考えています。障がい者が、納税者になれるような仕組みを作っていきたいですね。

 

齋藤:「幸せの数が社会をよくする」というシステムですね。

 

大塚:そうですね。まず、取材メンバーさんたちをスタッフとして雇用したい。次に、認定NPO法人にして、さまざまな企業からの共感を集め、活動に賛同していただいて寄付を募りたい。そして、「障がい者にお給料を払いたい」と考えています。
2017年の「とちぎ技能五輪・アビリンピック2017」、2022年の国民体育大会開催までに、お店、ホテルなどバリアフリーの場所を増やし、障がい者にも住みやすい街づくりをしていきたいです。栃木県をアクセシブル先進県にしていきたいですね。

 

齋藤:すばらしい将来ですね。実現すれば、本当に住みやすい街になりますね。僕らにもできることがあれば、ぜひ協力します。
本日は、貴重なお話をありがとうございました。

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<プロフィール大塚 訓平氏

NPO法人アクセシブル・ラボ 代表

http://accessible-labo.org/
株式会社オーリアル 代表取締役

http://www.oreal.co.jp/
2006年、25歳の時に不動産業(株式会社オーリアル)で独立。その後2009年に、不慮の事故により脊髄を損傷し、車いすでの生活に。
「命があれば、あとはかすり傷」をモットーに、障がい者の住環境整備にも注力し、健常者・障がい者双方の経験を経た独自の目線で、バリアフリーコンサルティング事業を開始。
車いす社長として、講演活動も積極的に行っている。
Blog『車いす社長の「命があればあとはかすり傷」』

http://ameblo.jp/oreal/

インタビュア齋藤 幸一氏

有限会社アップライジング 代表取締役
1975年11月14日 栃木県宇都宮市生まれ。作新学院高校英進部から法政大学経営学部へ進学。高校、大学時代にはボクシング部のキャプテンを務めた。
プロボクサーとなるが24歳で引退後、平成18年、有限会社アップライジングを設立。
現在、代表取締役社長に就任し、世界中のタイヤ関係者が修行に来る中古タイヤ屋さんをめざして、新たな世界を極めようと日々奮闘している。

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