インタビュー|小倉譲氏【しゃらく】スタートラインに立てない人たちがたくさんいることに気づけたことが福祉の始まり

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小倉譲氏【しゃらく】スタートラインに立てない人たちがたくさんいることに気づけたことが福祉の始まり

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小倉譲氏【しゃらく】スタートラインに立てない人たちがたくさんいることに気づけたことが福祉の始まり

「在り方大学」今回のゲストはNPO法人「しゃらく」の代表理事 兼 事務局長、小倉 譲氏。法人名でもある「しゃらく【洒落】」とは物事に頓着せず、さっぱりとしてわだかまりのないこと(広辞苑第五版より引用)」。少しでも多くの「“しゃらく”な、おじいちゃんやおばあちゃん」に出会いたいと、小倉氏はシニア層を対象にした生きがいやライフスタイルの提案を続けている。<編集部より>

小倉譲氏 NPO法人しゃらく 代表理事 兼 事務局長

「福祉をビジネスにする」との決意を胸に

株式会社Kurokawa 代表取締役 黒川芳秋(以下、黒川):「しゃらく」は、最初からシニア層を対象に活動していたのですか?

 

NPO法人しゃらく 代表理事 兼 事務局長 小倉譲(以下、小倉):旅行業は定められた財産的基礎がないと、登録を受けられない仕組みなんです。

私たちは、2006年に「しゃらく」という団体を立ち上げました。まず、皆で6畳一間に寝泊まりし、深夜までアルバイトをして、1,400万円を貯めました。
その後、2008年に旅行業登録と介護タクシーを開始しました。

 

黒川:その時点から、旅行業に携わる構想だったんですか?

 

小倉:はい。私は営業、1人はNPO団体・市民団体向けIT事業(WEBサイト構築支援)とかDTP事業(チラシなどの制作支援)を行い、1人は旅行業に必要な国家試験の勉強に2年間取り組みました。幸いにも国家試験に合格したので、旅行業をスタートさせました。

 

黒川:なぜ旅行業を?

 

小倉:「福祉をビジネスにしたい」との思いは、私が18、19歳の頃からありました。

私はその頃、6回の入院を経験し、入院中には、自分と同じくらいの年齢なのに病院から出たことがない方など、さまざまな方と出会いました。
よく「時間は平等にあるから、努力した人間にチャンスがある」と言われますが、私はそこで「ちょっと待て、スタートラインに立てていない人たちもたくさんいるじゃないか」と思ったです。それが、福祉に関心を持つ契機でした。

その後、中国で、理事(取材時)の須貝(須貝 静氏)に出会いました。
私は当時から「福祉をビジネスにする」と言う目標を持ち、がむしゃらに生きてきました。
22歳の時には、大学に入り直しました。そこで理事(取材時)の小嶋(小嶋 新氏)に出会いました。
2000年には、語学塾の経営に携わり、その利益で留学生に寄付をするという仕組みを作ります。利益を上げながら、社会を変えていく仕組みづくりに関心を持っていました。

 

 

「こうちゃん」との出会い

小倉:大学時代には、障がいを持つ多くの方々とも関わっていました。

その中に、脳性まひの友だち「こうちゃん」がいました。
こうちゃんの誕生日に「何をしてほしいか」を尋ねたことがあります。
すると、「ハーレーダビッドソンのオートバイに乗りたい」と言われたのです。
こうちゃんには左完全まひがありますし、通常は無理な話ですが、僕は何に関しても「無理」と言う言葉を使うのが嫌いで、策を考えました。
まずはサイドカー(側車付きオートバイ)を思いつき、借りてきました。次に、こうちゃんをベルトでぐるぐる巻きにして、革ジャンを着せてあげようと思ったけれど難しいことでした。仕方がないので、私は、こうちゃんをそのままサイドカーに乗せて走りました。すると、こうちゃんは鉄砲を持つような感じでパンパンと、自分の世界で楽しんでるんですよ。

これは良い経験でしたが、こうちゃんには革ジャンを着てほしかったのが心残りでした。
これがきっかけで、障がいの理由で、着たいものが着られないことに疑問を持つようになりました。
そこで、障がい者向けの服を作ろうと思って、アパレルメーカーに就職しました。気軽に買える、「障がい者版のユニクロを作る」と当時は考えていたんです。

 

黒川:その分野を志す人は少ないですね。

 

小倉:入社後は、さまざまな洋服屋さんに足を運び、売れ筋を聞きながらサンプルを購入し、それを真似して作る、と言うようなことをしてたら、成績は悪くなかったんです。でも、私自身は仕事に面白みを感じませんでした。

祖父との旅行で見た「魂が震えた瞬間」

小倉:ちょうどそんな時期に、私の祖父が、介護が必要な状態になりました。

当初は、祖母が祖父を介護していましたが、祖母が日に日に疲れていくのを孫の私が見かねて、週末介護に入る生活が始まったのです。

私はおじいちゃん子でした。祖父とは毎年旅行に行っていたくらいでした。
祖父に「今年も旅行行こう」と話したら、「もうすぐ死ぬから無理や」と返されて、「そんなこと言うなや」と、旅行に行くことになったんですよ。祖父が希望したのは、徳島県鳴門市にある人丸神社でした。

ここからが創業の大きなポイントになります。
祖父との旅行を、旅行会社に依頼したところ、どこからも断られてしまったのです。
でも私は、それなら自分で連れていこうと思いました。
目的地の神社に到着すると、それまでは5mくらい歩くのもやっとだった祖父が、何と神社の前の階段を上り始めたんです。その後、神主さんとも、立ったまま1時間くらい話すことができました。その時を、私は「魂が震えた瞬間」といつも表現しています。

お恥ずかしい話ですが、うちのおじいちゃんがこれまでどのように生きてきたか、何も知らなかったんですね。
しかし、祖父が徳島県鳴門市生まれで、食べ物が少なく、神社の裏にある海に「わかめ」を取りに行くことが日課だったとその時知りました。

行きたい場所に行けば、人には科学的に計り知れないエネルギーが湧き出す

小倉:目の前で話していた神主さんは、幼少時の祖父によく話しかけてくれた神主さんのお孫さんにあたる人でした。

祖父はそれからどんどん元気になり、神主さんと手紙のやり取りまでしていたんです。

そこで思ったのが、「何で、このようなサービスが世の中にないのか」と。ビジネスもスポーツも、モチベーションがあって初めて技術が発達するもので、機能訓練から入っても意味がないんじゃないかと思ったのです。
「思い出の地など、自分の行きたい場所に行くことにより、人には科学的に計り知れないエネルギーが湧き出てくるんじゃないか」と思った時に、「ないなら自分で作ってしまえ」となりました。それが創業のきっかけですね。

 
黒川:なるほど。皆さんそれぞれストーリーがありますね。

 
小倉:福祉のスタートは「こうちゃん」で、介護のスタートは「じいちゃん」でした。

 
黒川:現在は旅行業、介護タクシー、古民家再生、それにソーシャルビジネス(社会的課題をビジネスの手法で解決していく活動)と、幅広いですね。

 
小倉:2006年にNPO法人を立ち上げ、シニア層のサポートから始め、2009年くらいに理事(取材時)の小嶋へバトンタッチしました。

「旅をあきらめない」を実現

黒川:創業の基盤となったのがシニア層の生きがいサポートで、旅行業を事業化させるまで軸にされていたんですね。

 
小倉:2008年から、付添・介護付き旅行「しゃらく旅倶楽部」を始めました。当初は閑古鳥で、全然ビジネスになりませんでした。

不調の原因を考えた結果、それは介護が必要な方の「不安」だと分かりました。そこで、阻害要因を取り去ろうと思い、モニタリングを始めました。モニターの方を事例集の冊子に写真付きで掲載し、感想も書いていただくのです。
それが「旅をあきらめない」創刊号です。創刊号をケアマネージャー(包括的なケアプランの作成などを行う介護支援専門員)に送りまくったことから、火が付きました。

介護専門職の方は、介護保険制度内の事業しかやっていない訳ですから、実費を負担して旅行を実施する発想がありません。
しかし、事例集で同じような方が旅行に行っていることが分かってから相談が増え、そこからは右肩上がりでした。
現在は多くのケアマネージャーさんが私どものことをご存じで、広報にそれほど力を入れなくとも、お客さんが来る状態にはなっています。

 
黒川:現在の年間利用者はどれくらいですか?

 
小倉:募集型企画旅行(航空券と現地手配がセットになったプラン)もやっているので、大体月にオーダーメイド旅行が8~10件、多い月で20件くらいです。年間で450人くらいですかね。

旅行商品は今3種類あります。パック旅行の「この指とまれ」ツアー、募集型企画旅行があって、オーダーメイド旅行。売上比率で言うと、1%、10%、残り全部みたいな感じですね。

それが私どもの経営課題の一つで、オーダーメイド旅行は利益率も高いんですけど、手間暇がかかります。オーダーがあまりに多いと、質が落ちてくる可能性もあります。それは避けたい。
マーケティングでも言われていますが、「いつかはクラウン」って。これを「いつかはオーダーメイド」って捉えたらどうなのかなと考えました。「しゃらく旅倶楽部」にも、「小型車」や「普通車」に該当するクラスがあっていいと思ったのです。
「この指とまれ」ツアーが小型クラスで、6時間以内で安く行ける旅行です。「この指とまれ」に参加して自信をつけた人が、少しグレードの上がる3~10万円くらいの旅行に行くというモデルを作りました。それが2、3年前のことです。

 
黒川:CRM(顧客関係管理)ですね。これからはどんどん募集を増やして行かれるご予定ですか。

 
小倉:そうですね。現在は130人くらいが「この指とまれ」ツアーに来ているので、プロモーションをして、徐々に売り上げを伸ばしていきたいですね。

津波被害を受けた古民家を整備し、人々の集う場として再生

黒川:古民家再生は、メイン事業ではないのですか?

 
小倉:私は神戸出身で、自身も阪神・淡路大震災を経験しました。東日本大震災が発生した時には、発生後1か月が経過した4月頃に福島に行き、そこから南三陸まで被災地を見て回りました。

そこで、介護の必要な人たちなど「マイノリティー」の人たちには支援の手が届かないと思いました。例えば、仕切りのない体育館などでおむつ交換をせざるを得ない状況があり、それに大きな違和感を感じたのです。

宮城県本吉郡南三陸町の福祉避難所では、社会福祉協議会さんが運営されている施設に行きました。実は、その施設でも、多くのスタッフさんが津波に流されてしまったと聞きました。
被災された方に手を握られ、「1メートル先のところに連れて行ってくれ」と言われた時に心が痛み、私たちにできることがあればさせていただきたいと思いました。
私たちは、被災地に何かをするために行ったのではありません。私たちにできることと、現地で求められていることが合致しないと、ただの押し付けになってしまうので、それだけはしたくなかったのです。
私たちは、配慮が必要な人たちを、山形県にお連れする取り組みをさせていただきました。

それが落ち着いた頃、宮城県石巻市に「民家を再生したい」と言う方がおられて見に行きました。「地域の人が帰って来れる場所にしたい」とお話されるのを聞いた時に、何かやろうと思ったのです。
東日本大震災という未曽有の大震災の中で、私たちにできることなんて米粒みたいなものです。でも、この小さい集落を回復させることは「しゃらく」にもできるのではないかと思いました。旅行業の私たちが人を運び続け、シンボリック(象徴的)なものにしよう、将来的に津波や災害の生涯学習ができるような場にしよう、と思ってやってきました。

 

黒川:もう地元の人が思い通り使っている感じですか?それとも県外の人が?

 
小倉:まだ、県外の人が使っていますね。まだ完全に再生できてる訳ではないですね。結果的にそこで雇用が生まれたらいいなと思っています。

これからは旅行を軸にやっていこうと思っています。

 

人々がどんな状況にあっても、気軽に外出ができる場所を作りたい

黒川:今後は、どのような事業展開を考えておられますか。

 

小倉:将来的には、「しゃらく憩いのハウス」を作ろうと思っています。人々がどんな状況であっても気軽に外出ができる場所を作りたいなと、10年先のビジョンとして共有はしています。
あくまでも人と人が触れ合うビジネスモデルですから、付き添ってプランニングします。将来的に「しゃらく旅倶楽部」は、のれん分け事業みたいなことも考えています。
あとは、「これまで旅行に行けなかった方々」向けの、旅のリーディングカンパニーを作っていきたいですね。

 

黒川:現行ビジネスでは対応できない方々向けですか?

 

小倉:私たちは、高齢者をメインで旅行を受けていますが、さまざまな理由で旅に出られない方はいらっしゃいますから。

また、地域課題は今後さらに多様化し、行政サービスも悪化していくのは免れないでしょう。その時に活躍するNPOも増えてくるでしょうが、確実にNPOは淘汰されていきます。NPOは行政のお金ありきで動いている部分があるので、意識を変えていく必要があると思います。
時代の流れの中で、「私たち自身がソーシャルビジネスのモデルになり続けなければいけない」と言う思いは常にあります。

 

黒川:日本のNPOの見本になっていきたいということですね。

 

小倉:そうですね。NPOの考え方を変えていくには、私たちが成功していくことしかないですからね。

 

黒川:次世代への継承ですね。

「信頼できる人がいて、帰る場所がある」その幸福を一人でも多くの子どもたちに

黒川:以前、小倉さんが話されていた、「人生でやりたいことが3つ確定している」ですが、1つは「しゃらく」で、他の2つはどんなことでしょうか?

 
小倉:1つは、難病の子供たちの支援です。「まさゆめProject」を運営してうまくいっていましたが、私だけが手弁当で動いていて大変過ぎて止めました。

 
黒川:あと1つは?

 
小倉:里親ですね。妻に「子どもは3人いるといいね、末っ子は里親になって養育しよう」と言っていたのですが、結局、妻が産んでくれました。

私は3人兄弟の末っ子で、義理の弟が2人います。両親が里親をやっていました。私の父が身寄りのない子どもだったこともあり、少しでも、そのような子どもたちの力になりたいと思っていたようです。

ですから、最後は里親をビジネスにしたいですね。ビジネスと言うと怒られるでしょうけど、対価ではなくて、ビジネスにしないと持続が難しいですから。家庭の中でちょっとしたことを叱る経験をできるようにしたいのです。それが、結果的に「しゃらく憩いのハウス」になってもいいかと思っています。

当然のことかもしれませんが、身寄りのない子どもたちには、帰る場所がありません。私たちは仮に離婚なんかしたとしても、どこか実家に帰ればいいっていう甘えがありますが、「帰る場所がない」それ程の不幸はないんじゃないかと思うのです。
私は、贅沢と幸福は違う、幸福とは何かと言えば、「信頼できる人がいて、帰る場所があればいい」と思っています。
昨今は、子どもの貧困が問題視されていますが、児童養護施設にいる子どもたちは、貧困とかそのようなレベルで語れるものではないんですよ。

当法人では、2016年から企業・団体旅行の企画手配を始めました。その売上の1%を児童養護施設に寄付する形での貢献を進めています。
企業などの皆さんが企業・団体旅行の手配を当法人を通じて行うことで、間接的に児童養護施設に寄付することができるビジネスモデルから始めていきたいと思っています。


黒川:さまざまな方が子どもたちに関われる、そんな環境があればいいですね。本日はありがとうございました。

 

小倉:ありがとうございました。

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<プロフィール小倉 譲氏

NPO法人しゃらく 代表理事 兼 事務局長
1977年生まれ。
1996年 高校卒業後、中国上海、雲南省へ4年間の留学。その間、中国とアジアを中心に放浪の旅をする。
2000年 立命館アジア太平洋大学 マネジメント学部入学。大学時代は、語学塾の立ち上げと運営を行う。
2004年 アパレルメーカーに就職する。
2005年 任意団体NPC(非営利株式会社)和橋(NPO法人しゃらくの前身)を設立、代表に就任。
2006年 「NPO法人しゃらく」に組織変更し、代表理事 兼 事務局長に就任。
http://www.123kobe.com/

<インタビュアー黒川 芳秋氏

株式会社Kurokawa 代表取締役
創業62年、父親から代々受け継いだ衣料品、衣類リユース、リサイクル事業を行う。衣料品買い取りFC事業「キングファミリー」の全国展開を推し進め、他業態など現在に至る。社会貢献度の高い企業として海外への発信、意識も高い。今後、海外進出も計画している。