インタビュー|植田紘栄志氏 偶然の幸運をキャッチしやすい土台がビジネスを加速させる!

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植田紘栄志氏 偶然の幸運をキャッチしやすい土台がビジネスを加速させる!

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偶然の幸運をキャッチしやすい土台がビジネスを加速させる!

「偶然の出会いと、たった一言で人生が変わった」と言う、株式会社ミチコーポレーション 代表取締役の植田紘栄志氏は、チャンスもつかんだが、よい時ばかりではなかった。植田氏は自身が大変な時こそ、周囲の困りごとに応え、彼らをステークホルダー(企業活動を行う上で関わるすべての人)にしていくスタイルでビジネスを拡大している。「ビジネスは絞るほうが成功する」と言われるが、植田氏は「衣食住すべてに関わっていく。一本に絞ったらできないことでも、相乗効果でより大きな未来を創る」と語る。<編集部より>

植田紘栄志氏 株式会社ミチコーポレーション 代表取締役

バングラデシュの機械輸出で創業

株式会社シーエフエス 取締役 及川政孝(以下、及川):ゾウの排泄物を再利用した手漉き(すき)紙、「ぞうさんペーパー」を始められた経緯は?

 
株式会社ミチコーポレーション 代表取締役 植田紘栄志(以下、植田):ミチコーポレーションを設立したのは1997年で、最初は機械の輸出業として始めました。当時は中古の印刷機や精算機など、バス一台分くらいの量を現金で買い取り、バングラデシュなどに輸出していました。

 
及川:なぜ、バングラデシュだったのですか?

 

植田:バングラデシュだけでなく、カナダとかあらゆるところにニーズがありました。
中古車や中古機械などのニーズ情報をキャッチして、ファックスでやりとりして、ほしいならいくら、と価格を決めていました。L/C(信用状、Letter of Credit)という貿易手形で決算するため、有限会社を300万円で作りました。
印刷機は1,000万円~3,000万円と高価なのですが、ボロボロの機械を一台買って100万円上乗せし、400万円で売るというようなこともありました。
仕入れで全財産使うと何もできないので、入金されるまではボーッとしていました。
信用がないからお金が来るまで銀行は手形を出してくれません。L/Cを買取してくれないんです。その上、バングラデシュは銀行も怪しいから、入金まで非常に時間がかかる。下手すると半月ほどかかってしまいます。時間があるので、その間は家でテレビを見るだけの毎日でした。
さすがに「もう少しお金を増やそう」ということで、朝10時から夜10時まで、昼はブローカー、夜は築地市場で働き始めました。1年半で1,500万円くらい貯まったので、1,000万円を元手に、有限会社から株式会社へと変更しました。
当時の僕はすでに機械のブローカーをすることに飽きていたので、築地市場のような団体の仕事をしたいと思い、異業種交流会などに通い始めましたが、マルチ商法まがいの方も多く、自分が思うような方とは出会えませんでした。

一つの出会いと、「僕ならできる」の一言が人生の転機

植田:築地などに行きながら、やりたいことを模索していたある日、たまたま東京の駅でスリランカ人と会い、道を聞かれました。
立ち話をすると、相手が「お金を貸してくれ」と言ってきたのです。

 

及川:駅でいきなりですか?

 

植田:はい、最初は道を聞かれたんです。「首相官邸どこだ」「あっちだ」と。「首相になど、簡単に会えない」と伝えると、相手はとても残念がりました。今度は「都知事に会いたい」と言ってきたので、同じようにすぐには会えない旨を説明しました。

そんな立ち話をしていたところ、「ホテルでお金をぼったくられた。困っている」と相談されたのです。道でばったり会っただけですが、僕も暇だったので話を聞いて一万円貸したんです。その時は、戻ってこないと思って貸しました。その人は大喜びして、帰っていきました。後で話を聞いたところ、彼の給料の3か月分くらいだったそうです。その後、彼から「3か月後に結婚式があるので、よかったら来てください」と連絡がありました。

 

及川:たった一回の出会いでですか?

 

植田:そうです。しかも「旅費は植田さんのお金で」と。自分は進む道を模索中だったこともあって、行ってみることにしました。当時のスリランカは、現在のシリアとかバグダッドみたいに内戦中で危険なところでした。ですから外国人は少なく、実際、飛行機の中に外国人は僕だけでした。

たまたま、当時はカジュアルブランドの「ユニクロ」がブレイクした頃で、フリースが流行っていて、「これはペットボトルをリサイクルして作ってるんですよ」って言ったら、すごく驚かれました。
次に、現地の方から「ちょっと見せたいものがあるので、来てください」と言われて、知らない人ばかりなのに連れて行かれました。夜、山の中へどんどん入って行って、大変怖かったです。そして着いたところは山中のゴミ捨て場、つまりゴミの山でした。

「このゴミの山が、ユニクロのフリースのようになるんだったら、ぜひやってください」と言われました。確かに僕は通訳に、「ゴミの分別さえすれば、日本のテクノロジーでできますよ」と伝えました。後で聞いた話ですが、通訳が「僕(植田)ならやれますよ」と伝えたらしいのです。そうしたらみんなで握手、みたいになって。
ホテルに帰ったら、翌日には市長が部屋に来て、「そのビジネスをここでやってくれないか」と正式に依頼してきたのです。同じ通訳の方と一緒に。
新聞には「リサイクルの第一人者が来る」なんて記事が載っているし、大変でした。

及川:ちなみに、その時点でリサイクル業の経験はあったのですか?

 

植田:全くありませんでした。機械のブローカーの経験しかなかったわけですから。

 

及川:それと、築地のお仕事の経験ですね?

 

植田:そうです。築地の魚市場の力仕事だけです。

いつ、誰と出会うかで運命は変わる

植田:僕は「まあ、なんとかなるだろう」と思いながら帰国しました。そして、また異業種交流会の日々です。たまたまその中に、ペットボトルリサイクルのコンサルタントのような方と出会いました。大手百貨店から独立した方で、その百貨店が世界陸上競技選手権大会か何かで、東京のリサイクルシステムを開発したチームのプロジェクトリーダーだった方です。コンビニエンスストアのゴミ箱に、分別ルールを提唱した方です。
スリランカでの話を伝えると「もしかしたら、それはすごく儲かるかもしれません」という話になり、「一度僕をスリランカに連れて行ってください、植田さんのお金で」と言われました。当時1,500万円くらい貯まってたのでいいかなと、その人ともう1度スリランカに行きました。そうしたら空港で鼓笛隊が待っていて、盛大な出迎えムードでした。記者会見場みたいなものが用意され、同じ通訳の方が来て、コンサルタントと通訳が話し、それでナショナルプロジェクトが正式に承認、みたいになっていきました。
それで、後に引けなくなってしまった僕がやらなければならなくなったのです。
ペレタイザーという機械で、ペットボトルを溶かしてそうめんみたいに伸ばして、細かく切ってシリコンバックに入れる。それを中国に売ると、当時1tあたり3万円くらいになりました。当時、ペットボトルが1日あたり100tくらい山に捨てられていたので、100t×3万円=300万円儲かる計算でした。ゴミ分別の啓蒙などもしなければなりませんので、現地のスタッフを15人くらい雇い、ペレタイザーを買って、300万円くらいで会社を作りました。

そのコンサルタントを雇い、毎月スリランカに行く日々が始まりました。ゴミの分別をしたり、エコスクールと称してNPOのような活動や啓蒙活動などを行ったりしていました。
そんなときによくある話ですが、著名人がやっていらっしゃる財団が、お金を寄付する先を探しているという話が入ってきたのです。「3億円くらい、あなたのプロジェクトに寄付しようか」という話になり、そこからが非常に大変でした。
元々は、300万円で済むような工場だったのです。しかし、スリランカの大臣に、3億円持って行く訳ですから、大きなヤードとか法整備とか、リサイクル法も作ってくれと、向こうの国会で偉そうに交渉や記者会見などを行いました。
でも、一つ問題がありました。これらはすべて後払いの話だったことです。
築地で働いたお金が、すさまじい勢いで減っていきました。当初は「半年後に3億円入るから」という話だったのですが、そうこうしている間にも話がいろいろと変わってきました。NPO法人一つ作りなさいとか、名誉理事として元大臣のこの人とこの人を入れなさいとか、議員会館に呼ばれてイベントやりなさいとか、○○さんの関係のホテル会合など、どんどん巻き込まれていきました。
その当時、僕は世間知らずだったので仕方ありません。
その間、コンサルタントには「ここに1,000万円のコミッション入れろ」とか、ダーティーなことにも巻き込まれて、最終的には十数億円くらいまで話が膨らんでしまったのです。

「カントリーリスク5」になっても15人の社員のために

植田:ついには、「13億円持ってくるから、スリランカの環境大臣にリクエストレターを書いてくれ」という感じで外交をしていきました。
その間は1円も支払いがないので、自身の築地マネーで払っていました。エコスクールやNPOでの活動もあり、どんどんお金がなくなっていきましたが、「後でお金が入るからいいか」と楽観的に考えていたところがありました。
手付金を僕が払って3億円くらいの工業用地を取得し、ものすごい工場ができました。社長室だけで6部屋くらいあるような。ビリヤード台とかバーとかで、話を膨らませないといけないから、建築デザインも日本の有名な人にやってもらいました。すると、さまざまなメーカーが僕のところに売り込みに来ます。ODA(政府開発援助)ブローカーみたいに、みんながたかってくる。安売りしなくても買ってくれるからです。「うちを選んでくれたら、あんたに10%バックが行く」とか言われました。
しかし、13億円が全然来ないんです。元総理大臣とかも全然顔を出さないですし、本当に来るのかな?と疑心暗鬼になっている頃に、テロとか空港爆発とかが激化し始めて、スリランカのカントリーリスク(その国の信用リスク。対外投融資や貿易の対象となる国の信用度のことで、出資金や貸付金、輸出代金などが回収不能となる危険度)は最大の「5」になりました。要は、日本国としては「その国には行くな」ということです。
結果として13億円は来ませんでした。よくある話です。助成金とかで破産する自治体などの話がありますが、助成金が来ることを予定して、自分たちの予算でどうにか作っていたら、来なくなって大借金。それと同じですよ。
僕は現地で記者会見までしているので、日本に帰ろうか、それとも就職しようかなどいろいろ考えました。しかし、15人スタッフがいて、彼らから「何とかやってくれ」と言われたこともあり、小さな工場を作ったのです。

 

 

偶然から生まれた「ぞうさんペーパー」

植田:スリランカでは、中間処理業の免許とか法整備がなく、何もかも全部自前でやらなければならない訳ですから、全く利益が出ません。いろいろやっても1日あたり10t程度しかできないんです。10tで売上が30万円なのに、経費は50万円とかかかり、破綻状態にありました。
しかし、「そこを何とかお願いします」とスタッフからお願いされたので、生ごみとかビンとかのゴミ分別が増えてきたこともあり、「じゃあ、紙で何かやろうか」と思い立ち、それで「ぞうさんペーパー」をやり始めました。本当に偶然です。

及川:なぜ「ぞうさんペーパー」なんですか?


植田:いろいろな紙を作っていたんですよ。エコスクールで、「混ぜたらゴミだけど、分けたら資源だよ」と教わりました。エコロジー的な紙の方がいいだろうと、「おがくずペーパー」とか「花びらペーパー」とか、「象のウンチの紙」とかをやっていたのです。
すると、象の紙だけがやけに評判がいいので、これを商品化して商売にしようとしました。それが起死回生となって、バーっと広がっていったのです。
それで利益が出たのですが、反比例してペットボトル事業が瀕死になって。13億円の話も「来ないな」と思い、事業を断念しました。
当社を「エコロジー企業だ」と皆さんが言ってくださるようになり、取材によっては「象のために起業しました」とか言うこともありますが、本当は成り行きみたいなものです。調べてみたら、その当時は象が村などによく来て、撃ち殺されていたんです。象は怒ると怖いですから。日本でもイノシシとか鹿とかに畑を荒らされたりして年間240億円くらいの被害がありますが、象は体が大きいので、暴れた象が原因で、毎年120人くらいの方が命を落とされていました。

 
及川:象が村を襲うのですか?

植田:そうです。ですから、襲われる前に撃ち殺すということで、倍以上の象が殺されていました。人と象が敵対している中で、僕が「ぞうさんペーパー」を輸出して、稼ぐには稼ぐけれども、それなりの象がいなければ稼げない訳ですから、「象がいないと食っていけない人が、象を守る」という風潮になってきて、象を守ることも仕事の一部になってきました。
それが「共存型ビジネスモデル」となり、さらに伸びたのです。単に要らないものをリサイクルするとかではないので、ビジネスモデル自体が100点で、ビジネスコンテストで優勝するなどの実績ができました。


及川:そこから、自然などに意識が向いていったのですね。

 
田:そうです。だから僕のビジネスで小さいものが多いのは、例えば天然ゴムのものとか、伝統的な製法のほうが、より多くの人が関わることができるからです。手作りのものなど、一次産品が多いのはそういった理由です。

 
及川:そうなんですね。


植田:それで何とか黒字決算ができるようになり、金融機関がお金を貸してくれるようになったものですから、「いろいろなものをやってみよう」ということになり、食品とかアパレルとか動物園に売れそうなものを作っていきました。そうすると今度は物流会社さんとか、コンビニエンスストアのローソンさんなどが次第に興味を持ち始めたのです。
そんな最中、東日本大震災が起きたものですから、「人の手のひらに乗っかってるのは嫌だな」という気持ちが芽生えてきました。山梨とか栃木とかに拠点をもう一つ持って、東京と行き来しながら自給自足みたいなことを始めようと思うようになったのです。すると続いて、福島第一原子力発電所の事故があり、東日本だけでなく、西日本にも拠点があったらいいなということで広島に移りました。ですから、「ぞうさんペーパー」は現在広島でやっています。
基本的にはこのような流れですね。最初はお金のためにブローカーを始めましたが、流れでソーシャルビジネスに興味を持ち、今は大義があるビジネスの方がやりがいを感じます。僕自身飽きやすいので、お金のためだけでは飽きてしまうのです。

 
及川:なるほど。

植田:誰かを喜ばせる仕事のほうが僕は飽きないと思っています。ですから、「ぞうさんペーパー」から始まり、現在は過疎地のビジネス、例えば地元と外国の自然素材と、伝統的製法の料理と雑貨を楽しめるカフェ「芸北ぞうさんカフェ」を広島に作り、「情報や人が集まれば地元も活性化するのでは」とイベントを実施する活動をしています。さらには農業や漁業へと膨らませていって、という感じです。
すべてのきっかけは「ぞうさんペーパー」です。僕があまり儲からないのも、エコとかそんなことを言い始めて、非効率的なものばかりやるようになってしまったからかもしれませんね。

 
及川:そうなんですね。

 
植田:そうしたら今の風潮で、社会的なものが人気になってきたことで、講演のような話が少しずつ増えてきています。ここまでかなり省略して話しましたが、「わらしべ長者」みたいな感じです。元々、ビジネス自体は好きですし、人に雇われたくなかったので、いろいろやろうと思っていました。そんな感じで現在に至ります。

 

 

 
衣食住すべてに関わっていきたい

及川:今後の展開としては、どのようなことを考えていらっしゃるのですか?

 
植田:衣食住すべてやってみたいので、例えば宿泊施設とか、ホテルとかですね。

 
及川:それは日本でですか?

 
植田:韓国とか、スリランカとか、自分になじみのあるところを中心にやっていきたいです。衣食住全部ですから広く浅くになってしまうかもしれませんが、自分でメディアを使って発信するという意味で、出版社やタレント事務所も始めました。ラジオ番組には放送作家的に入って、タレントが売れていけば、もしくは本が売れていけば、さらに映像とかにも入っていけたらと思っています。僕が活動できるのも、現役であと20年くらいでしょうから、それまでにできるだけたくさんの種類を出したいです。広く浅くですが、これとこれをくっつけたら新しいビジネス、というように相乗効果があります。僕は「相乗効果が大きな未来を創る」と考えています。

 
及川:実際、相乗効果を感じていますか?

植田:はい。一本に絞ったらできないことが結構あるので、そういう意味ではチャンスも広がりましたし、僕のカフェには普通ならばないもの、異国、異文化のものがあふれています。それを目当てに来られるお客様もいるし、グリーンツーリズム(農山漁村地域で自然や文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動)で、結構遠くから来てくださる方もおられます。
田舎にコミットしているからそういうことができますし、田舎にずっといたら外から人を呼べないし、外にいたら田んぼも山も貸してくれません。
イスラム圏のハラルとかで、肉を食べられない人たちは旅行が好きなのに、食事をイスラム仕様にしないと別の土地に来られないんです。そういうことを知っている人は、日本の田舎にはなかなかいないですからね。また、外国の方にとっては、都会はどこへいっても変わらないですから、田舎に滞在したいんです。ジャカルタと東京は一緒だし、クアラルンプールもニューヨークも一緒です。でも田舎はやっぱり違うから、旅慣れた人ほど田舎に来ます。そういう方たちへのコーディネートも可能です。
僕らは山合いですからね。山だけがあっても面白くないけれど、30分あれば海にも山にも行けて両方楽しめます。それは、漁業と農業を両方やってるから楽しめるんですよ。普通はどっちもやってないですから。海と山の両方楽しめるツアーを編成できるのは僕らだけです。広く浅くやることで田舎にいれば、衣食住を同時進行できるのです。自分の時間は限られていますから、そういったことをやっていきたいです。

過疎で困っているものを逆手に取るビジネス展開

及川:これからは、トータル的に衣食住すべてに関わるような方向へ事業を広げていかれるということですか?

植田:そうですね。自分も楽しめるでしょうし、船も手に入れたので、今度は牧場とかもやっていきたいです。担い手がいない牧場がたくさんあるんですよ。広島というわけでなく、日本中にです。過疎で困っているものを逆手に取るビジネス展開をしていきたいです。担い手がいないだけなんですが、地方はよそものを受け入れません。都会の人が「やろう」と言っても無理ですが、僕たちはどんどん引っ張っていきます。 スリランカの富裕層が僕の田舎にツアーで来ることもありますし、今後はスリランカのコンテンツをこちらに持ってきたりとか、今までは輸入するしかなかった「視力が良くなるハーブ」を日本で作ったり、あちらの専門家に実際に来てもらって教えてもらったりするというような感じで、もっと田舎・過疎地域に事業をつないでいきたいです。
「広く浅く」というのがキーワードになるんですが、広く浅くというと、一般的にはマイナスイメージじゃないですか?でも、大部分の人は狭く浅くなんですよ。
「広く」というのは結構難しいものなんです。だから、広くいろいろたくさんやって、偶然の幸運をキャッチしやすいような土台を作ると、これとこれをくっつけたら万々歳みたいなことが起きやすいです。今そういったことに凄く興味があって、飽きずにやっています。そんな感じですね。

 
及川:今日は素晴らしいお話をありがとうございました。

【在り方Webより 植田 紘栄志氏【ミチコーポレーション】偶然の幸運をキャッチしやすい土台がビジネスを加速させる!

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<プロフィール植田 紘栄志氏

株式会社ミチコーポレーション 代表取締役

1971年岐阜県生まれ。
20歳で豪州留学。豪州ウイリアムス・ビジネス・カレッジ卒業後、東京にて株式会社ミチコーポレーションを設立。
スリランカにて、ペットボトルリサイクルや象の排泄物のリサイクルペーパー「ぞうさんペーパー」、自然素材の手作り画材シリーズ「ワイルドパステル」など、自然と動物と人間が共存するためのビジネスモデルを事業化する。
「ぞうさんペーパープロジェクト」が「BBCワールドチャレンジ2006」でグランプリ獲得。
出版事業では「ぼくのウンチはなんになる?」が第41回造本装丁コンクール展にて「ユネスコアジア文化センター賞」を受賞。
現在は広島県北広島町にて「芸北ぞうさんカフェ」を拠点に、さまざまな地域活性化ビジネスを展開中。
http://www.michi-corp.com